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serial experiments lain 20th Anniversary Blog

Layer:12 Landscape - Alice heads lain's house.

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 私服のありす――

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 電線の下、坂を上って岩倉家を目指している。

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 玲音の部屋だろう箇所の壁が異様な事に、ありすは既に不安を抱いている。

 

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 呼び鈴を鳴らすが――、ピンポーンの「ン」のピッチがダウンする。
 応答は無い。

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 門扉に触れると、すぐに開いてしまう。

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 恐る恐る、ドアを開けて中を見ると――

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 明らかに「何者かが荒らした」様な荒廃をしている。

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 だが、ありすはそこで逃げず、靴を脱いで上がる事を決意。

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 玲音に会って訊かねばならない事があるからだ。

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 ペンキがぶちまけられた様な有様は、抑圧下にあった玲音が生んだ、「暴力的玲音」がやったのだ、と私は考えている(シナリオには書いていない、コンテの描写からの解釈)。

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 居間を見やると――

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 家族は誰もいない。

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 奥の階段に進むと――、靄が掛かっている。

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 階段を昇ろうとすると――

 

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「ピーピーピー ガー」
 この世の者あらざる様な美香がいる。

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 あまりの恐ろしさに壁際にもたれしゃがみ込んでしまうありす。

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 しかし――、
 

 もう美香の姿は消えた。


 ありすは自らを必死に奮い立たせて、二階へと上がっていく。

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 この美香の「ピーピー ガー」も、若い人にはピンとこないだろう。
 


 これから僅か10年弱で光回線が整備されるとは予測出来なかった。


 この「不穏な家にて止めた方が良いのに、2階にいる存在に向かって上っていく」――というシチュエーションは、「恐怖の作法 ーホラー映画の技術」に書いているが、私がファンダメンタルな映画的恐怖表現というものを見出した、「」(1976)というホラー映画のシチュエーションをなぞっている。
 盛大な効果音と共にいきなり画面におぞましいものが飛び出す表現は「ショッカー」であり、「ホラー」とは椅子に座って見ている観客の姿勢をじりじりと変えさせる様な、こういう表現なのだ。

 だが「lain」に於けるこの場面の趣旨は「観客を恐怖させる」事にはない。
 寧ろ、視聴者が「行かなくてもいいのに」と思う様な行為を登場人物がとる事で、初めて「ありす」はヒーローに近しいこの物語のキー・キャラクターとなり得るのだ。
 
 そうまでして、「友達」に会いに行く――(その気持ちの中には非難したいという感情も勿論含むが)。
 だからこの場面は、他の回のどの場面よりも恐ろしく描く必要があった。
 二階の部屋で、玲音がどういう状態にあるかは視聴者は既に知っているのだから。

 中村隆太郎監督は、この場面の背景を執拗に加工していたという。
 その上、更に画面にフォギー・フィルタを重ね、凡そテレビ・アニメの表現を逸脱したエクストリームな画面となっている。


 話的にはこの後の場面も一連なのだが、何しろ凄まじいカットが膨大で、キャプチャした画像が多過ぎるので、エントリをここで分ける。

 

 

Layer:12 Landscape - Something fantastic will come.

 

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 ここから英利政美の長いモノローグが語られる。
 英利の手法、手段はともかくも、彼の思想の根幹は「ある見方では正論」なもので、人という衰退した種族が今後進化をするなら、ワイヤードとシームレスで情報を入出し、最終的には欠陥の多い肉体から解き放たれるべきだというもの。
 
 その方が圧倒的に「楽」にはなるだろう。
 けれど、それで失うものは人としての本質なのだ。

 

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 英利の遺体回収現場シーンは、9話のバンクなのだがこちらの方が彩度が高く鮮明(つまりオリジナル版)。
 何故彼の死に下山事件を重ねたか。
 それは私が一番好きな物語の話法が、1970年代のポリティカル・フィクションだからだ。

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 今は滅多に使われないジャンル名だが、ここで言うポリティカルは政治に関する題材には限らない。犯罪事件やナチス戦犯を巡るスリラーなど、社会的な題材で、かつ個人が強大な力を持つ(主には)体制に反逆する形の物語であり、概ねはスリラーとなる。
 

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 ポリティカル・フィクションには、物語そのものに関連するもの、周辺的に関わるものなどのディテイルが膨大に描かれ、一種の情報小説という読み方が出来る。
 トマス・ピンチョンの著作もそういうスタイルなのだが、ピンチョンをポリティカル・フィクションと呼ぶ人は流石にいない(単純に文学)。

 映画ではコンスタンティン・コスタ=ガブラスアラン・J・パクラといった監督が優れた作品を撮った。
 日本映画では、山本薩夫監督の多くの映画、岡本喜八監督の「ブルー・クリスマス」が代表作と言えよう。

lain」シリーズを考える時、単に虚構の中の一少女の周辺世界で閉じたものにせず、ネットそのものをモチーフにして、そこに極めて特異な能力というと語弊があるが、そういうヒロインが関わるストーリーにしようと考えていた。
 だから、ネットを巡る様々な事象――、ゲームや秘密、個人情報の暴露などをメタファライズして物語に織り込んでいった。
 プロトコル7を巡る物語に限り、「lain」はポリティカル・フィクションの側面を持っている。

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下山事件」は今尚真相が判っていないのだが、松本清張を筆頭とする謀略論は、終戦直後、占領下の日本という特異な時期なら有り得た事だった。
 下山国鉄総裁が死んだ事により、国鉄が大量の職員解雇を実施出来たのは紛れもない事実だった。
 英利もまた、自ら死ぬ事によって、プロトコル7を解き放った。
 橘総研はアップデートしていくだろうが、既に空いてしまったワイヤードとリアル・ワールドの領域を埋める事は出来ない。

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 さて、ここで初夏のワンピースの装いの玲音が現れる。
 全て巧くいった。全て思い通りになった――。

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 そういう解放感を味わっている様に見える。
 シナリオでは「玲音」なのだが、コンテからひらがな「れいん」と記され、以降はそう呼ばれる新たな玲音の姿。今話の冒頭のモノローグもこの「れいん」だった。

 

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 地下駐車場。
 こういうシチュエーションもまた、ポリティカル・スリラーには欠かせない場面である。

 停車している車の中に灯る赤い光。
 

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 だがそれはレーザー光ではなく、カールが点けたライターの灯。

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 密閉した車中で煙草を吸われたらたまらないだろうと、今尚喫煙者の私でも思う。


 MIBの2人は、クライアントに不信を抱いている。
 ナイツ狩りをした彼らは相応な逃走先が確保されていて然るべきだったが――

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 やってきた黒塗りの車のヘッドライトが2人を照らす。
 この一連の場面の影と光の描写が極めてリアルだ。

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 車から降りた男は、金が入っているであろうアタッシェ・ケースを床に置いた。
 これで一切関係無くなるという事だ。

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 男は黒沢、なのだが、声は前回登場時とは違う俳優(鈴木英一郎氏)が演じられた(かなり近い感じに演じているので違和感はない)。

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 何処へ逃げればいいんだと問うと、黒沢はにべもなく
「電波も衛星もカバーしていないところ」だとしか言わない。
 現代の文明社会でそんな場所は原則的に無くなっている(のだが、衛星情報を制限されているエリアはある)。


 黒沢が去ってしまうと、いきなり林が悶絶しのたうち回る。

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 引きのワンカットでのアニメーションが凄惨さを際立たせる。

 非接触なのに毒物でも盛られたのかと、最初は茫然と見ていたカールだが、どうやら原因は林が装着しているMRゴーグルが見せている何かだと悟り――

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 データ・リンクしてカールのゴーグルのLEDが点灯。林が見ているものを共有する。

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 すると、何かおぞましげな何かが地下駐車場をのたくたと徘徊しており――、

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 苦しむ林の瞳の奥に――、

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 玲音が――

 
 絶命する林。

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 茫然と立ち尽くすカールだが、彼のヴィジョンにもおぞましい何かが迫り――

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 ほんの一瞬見える、林の顔――

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 カールも絶望的な悲鳴を上げ――、恐らく絶命しただろう。
 絶命したばかりの林のカットでも判る通り、彼らが見たのは死者達で、彼らが手にかけてきた者達の亡霊だった。
 死者の怨念が襲った――というよりは、彼らの中に残っていた人としての良心が、彼らを苛んだのだろう。

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 さてこの「駐車場を徘徊するおぞましい何か」が、アニメーションではなく実写であるのも、緊急対応策だった。
 前話では近い表現がアニメーションで描かれていたのだから、ここでもその発展系で描いてもおかしくないのだが、上田Pと中原順志氏(今話にはもう3D作成する様な場面はなく、サブタイトルくらいだったからだとは言え無茶な人選)が2人で深夜に撮影したもの。中原氏が毛布を被ってヨロヨロ歩いている。
 
 当初の構想では、MIBは背景的な存在でしかなかったのだが、岸田さんのデザインを見て私の中で在り様が全く変わった事は以前に記した。
 加えて、中田譲治さん、山崎たくみさんという極めて個性の強い声を得られたのも大きかった。
 当初の構想にはなくとも、演繹的に成り立っていった要素をシナリオで、ギリギリのタイミングではあったが拾え、こういう場面が生まれた。


 林の瞳の中に玲音を見せていいのかどうか、私はそうシナリオに書いておきながら確信が持てないでおり、隆太郎さんに判断を委ねた。
 結果描かれたが、これを見ても視聴者が「玲音が悪意をもって2人を襲った」と誤読はされないだろうと安堵した。


 だが、玲音の中に暴力性を持ったペルソナがあるのも事実だと、次のACT3で明らかになる。劇中に一切登場はさせていない、ヴァイオレントな玲音――

 

 

 

Layer:12 Landscape Exotic Towers

 

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 物語として閉じねばならない事柄は既に提起してあり、それらに結着をつけるのは当然だとして、如何にこのシリーズにクライマックスをもたらしたら良いのか――。

 中盤以降のシナリオで私は常にそれを意識していたのだが、バトル物でもアクションSFでもない本作は、日常描写をリアルに描く事で当時はまだ絵空事であったネットとリアル世界の二重構造を、静的な景観として描くしかないのだと私は思っていた。
「Landscape」は、いつの間にか見慣れた風景が、ふと気づくと全く異質なものに変容している事に気づき、自分を取り巻く環境が変質したと実感する――
 前話から度々表現されている、街中に聳え立つエキゾチックな塔の数々は、様々なシンボリック的役割も持つのだが、本作が見せ得る日常に現れる非日常――怪獣的なニュアンスで考えていた。
 
 しかし、シナリオを書き進める内に「これはまずいぞ」と思い始めていた事があった。
 それまで一元的に「玲音」というヒロインの観点で描いていたが、何が起こったとて、それらは全て玲音の心的な問題に因する、主観的な心象という解釈を容易に導いてしまう。
 勿論、本作では玲音のディリュージョン、幻覚も特に初期話数では誇張気味に描いてはいるのだが、全てが妄想となるとフィクションは愉しめない。客観的な出来事と裏腹のギリギリを描くのが「lain」というシリーズなので、最終的には大客観で終わるべきだと考えをシフトさせた。

 瑞城ありすというキャラクターが、当初の構想よりも遙かに重要な存在になっていったのは、そういう私のプラン変更があったからだった。

 


 コンテ・演出:中村隆太郎 演出協力:うえだしげる 作画監督:岸田隆宏

 

 普通なら、メイン・アニメーターが作画監督を務めるのは初回、最終回なのだけれど、岸田さんの作監クレジットはこの12話のみ。
 オープニングにも参加されたスーパー・アニメーターの方々を始め、監督をする人々など尋常ではない原画クレジットがラストに見られる総力戦となっているのだが、内容を見れば納得させられるものの、当初からのプランでそうなったのではなく、そうせざるを得なかった事情が大きかったと思う。後半から中村隆太郎監督のコンテ、コンテ修正がどんどん遅れており、作画期間が極めて厳しかった。
 岸田さんが直接声がけしなければ12話は無かった。


 さて前話、玲音は鴎華学園中学生徒達の記憶を改竄する事に成功したが、ありすだけはその対象から外されていた。

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 アヴァン・タイトルでは玲音の喋りから入る。

「なぁんだ、そういう事だったんだ」

 玲音の声は明るい。

 

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 青空バックのサブタイトル。

 

 教室でありすは浮かない顔でいる。

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 樹莉、麗華らと愉しく談笑している玲音――

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 これほど明るい玲音はいつ以来だろうか――

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 ありす――

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 ハッとなる。

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 玲音がありすに向いて、アルカイックな笑みを見せている。

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 何ら邪気の無い、しかしその表情は――

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 目を思わず逸らしてしまったありす、携帯NAVIの着信に気づく。

 

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 釈然としないありす。

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 今話から、砂嵐の中に浮かぶ玲音の映像が頻繁に混入される。
 砂嵐――というのはアナログTVが何も受信していない状態のノイズであり、若い人は見たことすらもない人も多くなりつつある。

 いずれにせよこの玲音は、テレビのブラウン菅を通して、視聴者を直接見ているのだが、それがどういう意味を持つのかは、最終話で明かされる。

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 閑散としたサイベリアで、相変わらずくだを巻いているキッズ。
 新しいMRゴーグルでワイヤード接続していたタロウ、いきなり笑い出して言う。

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「俺、天使とキスしたんだぜ」

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 ミュウミュウはそんなタロウを悲しそうに見る。

 

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「景観」モンタージュ。今話は松浦錠平さん(3,7,11話演出)が担当された。
 塔の佇立する景観は、見えない電線が遙か上空に張り巡らされており、それらを行き交う膨大な情報を送受している事を暗示している。

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 ネット・ニュウズのアナウンサーが初めて顔を出して、プロトコル7がこれからのワイヤードとリアル・ワールドを変えていく事を宣言する。
 

「では次のお知らせです。玲音を好きになりましょう」

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 玲音が鴎華学園生徒らの記憶を改竄出来たのも、プロトコル7(シューマン共鳴ファクター実装)が既に整備済みであったからだった。
 アナウンサーが妙な事を言い出すのは、玲音の無意識にある承認要求衝動が作用していたのだろう。

 ここでアナウンサーの顔を出すコンテに私は強く反対したのだが、最終話のマドレーヌの件もそうだが、画面については隆太郎さんは絶対に異論を認めなかった。
 
 私が反対した意図は、メタ的な視聴者への直接話法が、画面の中で完結してしまうからなのだが、見直しても「やっぱり要らないなぁ」とは依然思う。しかし隆太郎さんには必要だった。

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 確認していないが、このタイポグラフィ・パートはやはり上田Pの作だと思う。

 

 

Layer:11 Infornography - lain smiles.

 

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 登校してくるありす。
 実感の無いハイコントラストな世界。
 玲音が感じていた世界を、今、ありすが感じている。

 

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 おはようと声を掛けてくる樹莉と麗華。

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 ありすは、グループデートの誘いを断ろうと切り出すと、樹莉はそんな話知らないと言い、昨晩はCUメールも送っていないという。

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 出勤してきた若い男性教師を見てしまうありす。

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 2人はあの先生はカッコいいけど、3年生女子と付き合っているらしいという噂を話しだし、ありすは内心衝撃を受ける。

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 2人、ありすがあの先生を好きだったの? もう遅いよとからかいだし――

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 今立っている足元が揺らぐ感覚に陥っていたありす、

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 何の音も気配もないのに、何か衝撃を受けて振り向く――!

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 校門に玲音が立っている。

 2人は仲良しな友だちとして手を振り呼ぶ。

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 ありすは堪えられず一度目を背けて前に向くが――、

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 どうしてもまた振り向いて見ないではいられない。

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 ずっと無表情だった玲音――、

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「玲音、笑った」

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 ありすや玲音の写実的な作画描写も「lain」の特筆すべき要素だと思っている。
 実況などでよく「ほうれい線」と揶揄されるが、どんな若い膚であっても人が笑うと、表情筋は谷を刻む。それが人間の顔というものなのだが、凡そアニメの記号表現では省略・抽象化されがち、というより描かないのがルーティンとなっている。しかし岸田隆宏さんのデザインにて、影色のみでそれが表現されているのには今尚感銘を受ける。
 勿論、殊更に写実的になるのは、あの覗き屋lainに「あんたって!」と涙を流して叫ぶありすもそうだったが、テレビ・アニメのノーマル話法から逸脱したエクストリームな場面だけだ。

 この玲音の笑みは、決して邪心は無いであろうとも、視聴者とありすを心胆寒からしめるものであるべきで、岸田さんのデザインでしか描き得なかった。

 


 アフレコで、この最後の台詞をどう言ったらいいか浅田葉子さんはとても悩まれていた。
 だが、鶴岡音響監督も私も「こうなんです」という適切な助言を出来なかった。
 なぜなら「玲音、笑った」はありすの台詞ではなく、シナリオのト書きだったのだから。

 1話目から、字幕スーパー指定の文を隆太郎さんは台詞にする演出を度々してきた。最初はシナリオの書き手としては「ん?」という違和感があったが、次第に「なるほど」と思えた。

 しかしここに関しては正直に言って、意図が今も判らない。

 絵では伝わりきれないので台詞にしてしまう、という消極的な意図ではないのは間違いない。玲音の笑みをあそこまで「誰がどう見ても演出意図通りに受け取る」様に描けているのだから。

 浅田さんは全く確信が持てないまま、あのテイクを録った。
 私はコンソール室の鶴岡さんの隣にいつも座っていたのだが、後方のソファに座っている隆太郎さんの方に振り向いて「これでOKですか?」と目で訊いた。
 隆太郎さんは小さく頷いたので、アフレコはこれで終了となった。

 皆さんは、どう受けとめられただろうか。
 20年経ても残る、小さな謎である。

 

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 半パートでも、アブノーマルなキャラクター表現を一層増やす回になってしまい、画面設計はなく原画のみに岸田さんもクレジットに名を連ねる。

 

 

 

 

Layer:11 Infernography - Grayn

 

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 ありすはチャットをしているのではなく、「CUメール」という画像メッセンジャーを見ている。携帯機用アプリなので画質が悪い。

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 今なら日本はLINE寡占状態のIMだが、当時はICQというアプリがよく使われていた。「I seek you」でICQ
 なので仮想アプリとして「See You」=CUメールという名称にした。
 一時は流行るのかと思った携帯のテレビ通話も、いつの間にやらSkypeすらもあまり使われなくなってきたのは何故なのだろう……。(2018年現在)

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 ありすのNAVI端末は、発表されたばかりだった初代iMacがモデルなのは言うまでも無い。スティーヴ・ジョブスが劇的に復帰して発表され、トランスルーセントなポリ樹脂の外装とおむすびみたいなデザインはコンピュータを劇的に変えたと当時は思えた。
 しかし直に液晶の時代が来るのだが。
 安倍君がこのデザインを描いてきた時、皆「やっぱりこう来たか」と笑ったのを覚えている。
 当初はこのボンダイブルーのみだったが、多色展開になった時に私はグレーのiMacを実家用に購入した(のちに粗大ごみ化)。


 樹莉はありすが先生とワケありな「噂」を解消するべく、グループデート(合コン)を企画していると言うのだが、ありすは「噂」ではない事に困惑している。
 どうも自分と樹莉、麗華達との認識にはズレがあるのは何故か――

 

 

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 その答えが、ありすの部屋に訪れる。
 驚愕するありす。

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 ドアに灰色の長い指をかけ、半開きにした外側に立っているのは、赤と緑の縞柄セーターを着たグレイ、ではなく頭だけは玲音。

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 岸田さんの設定画には「ぐれいん」と命名されていたので、以降そう呼ばれる事になる。
 今の表現で言えば「無気味可愛い」。

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 半歩だけ足を踏み入れてはいるが、決して部屋の中には入って来ようとしないぐれいん。
 ありすの秘密を暴露したのは自分じゃない、と訴える。

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 ありすにはしかし、鮮明な記憶が残っている。
 あれは確かに玲音だったのだ。

 ぐれいんは、ありすの認識は変わらないと判っており、だから全部それを無かった事にするという。もうそれが出来るぐらいに自分は頑張ったと。

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 ただでさえ異様な、本来ここにいる筈のない玲音が、全く理解出来ない話をしている事にありすは堪えられなくなる。

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「怖いよぅ」と涙を零すありす。

 

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 この場面までは、まだ玲音の側の「気持ち」を視聴者は同情的に共感出来ている。
 しかしここからの展開は、共感の主体がありすへとドラスティックに切り替わる。
 5話、制服美香が恐ろしい思いをして帰宅すると、私服の美香と鉢合わせをした、あの場面を想起して欲しい。あれは「描写」だったが、それを「ドラマ」として描いていく。

 

 

Layer:11 Infornography - Rock Bottom

 

 ここからB-Part。
 岩倉家――

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 玲音は「ぐるぐる」状態で凄まじい仕事量をワイヤードで実行しているのだが、肉体は抜け殻の様にただ苦しみに堪えおり、ポンプの動作音だけが聞こえる静寂の中。

 

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 疲弊し、躯を傾がせていく。

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 横になった玲音の前に、英利が声を掛けてくる。
 玲音は部屋内に拡張し尽くしたNAVIを自分の躯にエミュレータとしてロードした偉業を讃えるが、あまりに一挙に処理をするとオーバーフローを起こすと忠告する。

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 玲音は「自分を機械みたいに言わないで」と抵抗するのだが、あまりに多くの情報に接すると一時記憶=キャッシュ・メモリの容量を越えて、以降何もLTP(長期増強)プロセスを経る事が無く、長期記憶が出来ない――という脳の実際の立ち振る舞いを思えば、x86コンピュータであっても脳と近しい働きをしているのだと私には納得がいく。

 しかし英利は冷徹に、玲音は実行プログラムなのだと宣告する。

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 玲音は何故ここまで苦しまねばならないのか。
 全く身に覚えの無い、もう1人の自分(lain)は何故あそこまで悪意ある行動をしたのか。
 もし英利の仕業であるなら、ここでのやりとりにはならない。

 玲音は認めたくないが、自分の中にあのlainの性質がほんの僅かな割合ではあっても、有していたのだという事実に向き合わねばならなくなる。
 そして、本当の、いや自分がそうありたい「玲音」は、lainがしでかした過ちを如何に自ら痛めつけてでも修復するのだ――。

 しかし、玲音の肉体は限界を迎えていた。

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 床に再び横たわる玲音。

 

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 夜の岩倉家前に、裸足で立っている玲音。
 この一連の場面は、従ってワイヤード内の描写だ。しかも「今」という時制で統率された空間でもない。

 歩き出す玲音。

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 電線の声(視聴者には聞こえない)に「うるさい」と呟き――

 

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「五月蠅い!」と叫ぶ。

 

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 と――、電柱の側に異様な不定形の何かがいて――、それは玲音の前を通過していく。

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 するとそこに立っていたのは、四方田千砂。

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 玲音は再会出来て嬉しいと思っている。

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 もうすぐそっちに行けるよと呼び掛けると、千砂は哀しそうに目を伏せる。

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 死ぬのは簡単じゃない。

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 背後から少年の声。

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 サイベリアでアクセラを過剰摂取し、錯乱して銃で自殺した、あの名も無き少年は、玲音を黄泉へと誘う。

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 ふと気づくと、既に銃は玲音の手の中に。

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 あぁ、やっと思い出した。この場面が問題になったのは、明らかに中学生である玲音が銃を持つという描写がコンプライアンス的に問題視されたのだった。
「レーザーサイトが照射しているので、これは光線銃なんです」という噴飯物の言い訳はこの時に私が言ったのかもしれない。
 実際撃つ様な場面ではないので、多分上田Pが説得してくれたのだろう。シナリオ通りに描写されている。

 玲音には、一度は銃を持たせなければならないと私は思っていた。ゲーム版と呼応させる為に。だが、普通の女子中学生(当時JCなどという言葉は無かった)が拳銃を持つというシチュエーションをリアルなドラマではなかなか描き難い。
 突拍子も無い表現や展開はさせていても、「lain」は私にはリアルな物語だったのだ。

 2話のアクセラ少年がワイヤードのレインに一体何をされたのか、何を言われたのかは不明なままだが、少なくともトリガーを引く切っ掛けを作ったのは玲音であった。

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 玲音は自殺しない事を少年に詰られる。
 既に、肉体に自分は固執していないのではなかったのか――?

 そう、この場面も玲音の精神状態が見せたディリュージョンだった。

 

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はっと見上げると――、玲音の前には坂道の下の住宅燈火ではなく、これまで見たことも無い、まるで異星の都市夜景かの様な風景が広がっている。

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 電線より遙か上空にて高速に信号が行き交っている。
 Landscape=風景というキーワードは、この後の話数で意味を持つ。


 玲音の極限状態の意識はこんな幻影を見る程に昏迷していた――。

 

 

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 11話A-Partの総集編、シナリオにある通り私の抱いた野心は「台詞が一切無い」表現だったのだが、台詞の抜粋も必然的に幾つかは用いられ、私の野心は潰えてしまった。

 


「台詞の無い」=映像だけで物語るテレビ・アニメというものを、後に同じ上田P原案の「TEXHNOLYZE」の1話目で、浜崎博嗣監督によって〈ほぼ〉実現する。実際には僅かにあるのだが、殆ど無い。主人公は「はぁはぁ」しか言わない。
 マッドハウスの当時社長には嫌味を言われたし、この1話のせいで今で言う「1話切り」した視聴者も出たのだろうが、私は今尚後悔していない。
 予定されたラスト・シーンが、言葉や台詞では全くフォロー不可能な情景である以上、物語の始まりにも言葉はあるべきでは無かったからだ。
 シリーズを通して見た視聴者なら判って貰えた筈だ。

 


※今年の夏コミで発売される「TEXHNOLYZE」のファンジンに浜崎監督と一緒に取材を受けた。