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serial experiments lain 20th Anniversary Blog

Layer:13 Ego - Footbridge Over Troubled Water

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 アブノーマル版アバンに直結して、夕刻の街の場面となる。
 これは渋谷といった特定の街ではない。オープニングがそうである様に。

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 美しく成長したありすが、婚約者と新居の相談をしながら歩いている。
 恐らく伴侶に選ばれたのは、中学生時代に憧れた教師なのだろう。

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 歩道橋の欄干に、そっと手を乗せる――

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 ふと見上げたありす、歩道橋に立っている人物を見て、将来の夫に「ちょっと待ってて」と駆け出す。

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 待っていたのは、玲音。穏やかな顔で見つめていた。

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 ありすの玲音と過ごした記憶は当然失われている。いや、存在していなかった。
 だが玲音には懐かしさなのか、何かとても気になっている。

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 教育実習で会ったんだっけ? と自問するが、玲音は――

「はじめまして」

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「え?」

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「はじめまして、だよ」

 
 この台詞に、シナリオライターとしては万感を込めた。
 玲音という少女は、自分がどういう出自、経緯で生まれたかははっきりしないが、明確な事はある。それは「誰とも繋がっていない」存在だった。
 その彼女が、岩倉家で、学校で、ワイヤードで、人と繋がってはじめて「玲音」という存在になった。
 ワイヤードはウィアードであり、人の悪意や意図せぬ攻撃、負の感情の拡大などでリアル・ワールドにバイアスを掛け、歪める時もある。だが、それも紛れもなくコミュニケーション。
 他者と触れ合わなければ、人は人とは言えない。

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 玲音がどれほど辛いものであっても、自分の記憶を抱き続け、そして初めての「友達」となってくれたありす、そしてワイヤードで触れあった人達を、見つめ続けるという玲音自身の「選択」をした。
 シリーズを通して、異様な物語の異様な出来事に翻弄され続けた玲音だが、最後には自分自身の意思を通した。
 
 この場面のアニメーション、そして清水香里さんと浅田葉子さんの演技。全てが完璧だった。
 隆太郎さんはまた違う感想を抱いていたかもしれない。しかし私には理想的だった。

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 そしてありすと婚約者は玲音に別れを告げ去って行く。

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 いつかまた会えるよねと告げ。

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 ありすが去って行く姿を見つめ続けながら、玲音は言う。

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「そう、いつだって会えるよ……」

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 シナリオでは「いつだって会えるよ、ありす……」と書いており、コンテでもそうなっていたのだが、アフレコの時私は考えを変えた。
 この後のエピローグは、玲音が視聴者の前にメタとして直接話法で語りかける。
 シリーズを通して我々が訴えねばならないのは、「玲音を好きに」させる事なのであり、それは視聴者に普く向けられなければならない。
 だから「ありす」というダイアローグを削ろうと思ったのだ。

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 ロングで口が見えない箇所なので、問題はない。
 隆太郎さんにも確認し、削った。

 でも20年後に見直した時、やはりこの場面は「玲音とありす」の物語の終幕なのであって、削らなければ良かったと強く後悔した。
 康雄との場面は、何回か観る内に「これでいい。これが正解だった」と思う様になったのだが、この歩道橋の最後の台詞を削ったことを、20年後に後悔する程往生際が悪いとは、自分でも驚く。

 この最後のカット、もうありすはおろか他の人間は消えている。
 オープニングに「繋げ」た。

 

 

Layer:13 Ego - Alone in Shibuya city

 

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 ぶぉおおおんと一際ノイズが高鳴り、

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 極限的なフォーカス・イン・アウト

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 そして久しぶりに縦書きの「黒味にスーパー」

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「しまえばいい」の行はゆらゆらと定まらないまま。


 そして、これまでの毎週冒頭にあったノイズ――

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「プレゼント・デイ、プレゼント・タイム HAHAHAHAHA」

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 アバンのバンクはフルでノーマルに流れるが、ヴォイス・オーヴァーはなく効果音のみ(これもノーマル・ヴァージョン)。

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 そして――、

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 彩度が落とされた渋谷の街、東急本店通り。

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 人も車もいないそこに独り佇む――

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 当たり前だ。自分が最初からいない世界にリセットしてしまったのだから、玲音は悲しんでいる。

 空を仰ぎ――

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 あまりの胸の苦しさにしゃがみ込んでしまう。

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 そこにもう一人の玲音――「れいん」が現れる。

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 前話に登場した、初夏のワンピース姿の「れいん」
 前話のシナリオでは「玲音」、13話は「lain(便宜上)」と記していたが、隆太郎さんがコンテで「れいん」と命名した。

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 れいんはやはり玲音のオルターエゴではあるが、殆ど玲音自身だと言ってよい。前話冒頭、教室でありすに微笑んでいた制服の玲音も「れいん」状態だった。

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 玲音という特殊な存在でなくとも、そして解離性同一性障害者にも限らず人は、時に自己の中で対立する考え方が拮抗する。
 自己肯定をする自分と否定をする自分、どちらも「自分」。

 ここからの玲音とれいんの対話は、だからどちらも彼女の中にある考え方である。

 渋谷と、世田谷の岩倉家、学校だけが存在する小世界。

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 それが玲音の世界だった。

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 このブログは、「lain」シリーズのストーリーや設定の「正解」を記す意図ではなく、リアル・タイムの視聴者には伝わりきれなかったであろうディテイルを書いているのだが、最終話、一体玲音とはどういう存在だったのか、それ自体は私自身が決めつけたくなかった。ただ、実際にアニメーションとして描かれ、俳優によって人としての感情を吹き込まれた「作品」となっては、シナリオを書いた私も視聴者と同じく、「解釈」をする事になる。だからそれが「正解」ではないし、本ブログは「答え合わせ」ではないというスタンスは変わらない。

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 この二人の玲音の対話をここで全て書き起こしても意味がない。
 ただ、対立する考えをぶつけ合った上で、玲音は自分の「気持ち」を、「自分自身の記憶」を維持する事を選択する。

 二人の玲音は、彼女の世界だった各所に転々としながら話を続ける。

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 ワンストラップ・シューズ。

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 サイベリア

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 学校

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 玲音はワイヤードが「場」となった頃から遍在していた意思体である事は恐らくそうなのだろう。普通の少女にその意識が転移したのか、橘総研生化学部の完全なる人工生命体なのかは判らない。
 玲音は様々な性質の自身の分裂性を当初は認められず、自身の肉体にある「自我」だけが自分の意識なのだと、8話で英利に対して悲痛に宣言したが、この時の思想はデカルト的なものであって、カント、ヘーゲルフッサールハイデガーらが連綿と「自我」と「意識」を捉え直していくのと同じく、玲音は自分に起きている事、起こしてしまった事についての捉え直しをし続けてきた。

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 いっそ神様になってしまえば楽になると、れいんは言う。

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 またやり直そうよとも。

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 しかし玲音はそれを全て拒絶した。

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 何故か――


 れいんも消してしまった玲音は深い闇に包まれていく。

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 しかし――、頭上からの声。

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 あの懐かしい、お父さんの声。

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 プラトンの洞窟モデルそのものの構図で、光の中の康雄が玲音に「もうそんなもの被ってなくてもいいんだよ」と優しく言う。

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 くまパジャマのフードを脱いだ玲音。

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 さてここからのこの場面がシナリオと大きく変わっているのはシナリオ本を読まれた人なら知っているだろう。

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 シナリオでは、マドレーヌを紅茶に浸して食べるという事を康雄に教わり、玲音はそれを口にして、自分のこれまでの人間として生きてきた中で感じた事、抱いた気持ちを全て思い出して涙を流し、このセグメント最後の台詞(これは映像化版も同じ)を言う。
lain」シリーズの物語は、このフィクションの中だけで完結したものではなく、ネットワークの進化やコミュニケーションの在り方、現代思想、社会現象、宗教など様々な問題に言及をして、それらの背後にある膨大な情報をバックグラウンドにして綴ってきた。
 知識がある人なら、紅茶とマドレーヌが「失われた時を求めて」の引用である事が判るだろうし、そうではない人にとっても、とても暖かくて柔らかく、甘く美味しいものを食べるという実感で、自分の「感覚」、「意識」というものを失うのがどれだけ悲しいのかも共感して貰えるだろうと考えていた。

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 コンテで、康雄が直裁に玲音の気持ちを代弁して言葉にするという変更になって、率直に私は監督に抗議をした。「みんなが好き」というのは決して間違ってはいないが、あまりにも現存在のロジックとしては単純化し過ぎていた。
 しかし隆太郎さんは決して直そうとはしなかった。
 いや実際問題として、我々がコンテに目を通した時には作画打合せが既に進んでいたのだが。

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 そういう事があったので、初見時の最終話は複雑な思いで放送を見た。

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 シナリオの想定よりもずっとエモーショナルに玲音は涙を流す。だからここで視聴者を共感させるのは当然なのだが、ここで安易に情緒に流されても困る。

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 でも、そうはならない。そういう構成にしていた。

 アバン・バンクがアブノーマルな色彩で過り――

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「記憶って、過去の事だけじゃないのね。今の事、明日の事まで……」
 
 

 

Layer:13 Ego - Signal of Solitude

 

 電車が過るカットから、仲井戸"CHABO"麗市さんの「孤独のシグナル」が流れる。この曲はエンディング「遠い叫び」のシングルc/w曲で、「lain」の“イメージ・ソング”であり、本編で使われる予定は無かった。
 最終話のダビング時、上田Pが席を外している間、この一連の場面には用意されていたBGMではなくこの歌物になっていて、慌てて発売元の東芝EMI(当時)に確認をとったところ、快く承諾されたという。

「遠い叫び」が、まさに悲哀を歌うブルーズであるのに対して、メジャー・コードのアーシーなロック「孤独なシグナル」は、シングルとしてはバランスがとれているものの、確かに「lain」ではなかなか使いどころが無さそうな楽曲だった。
 しかし最終話、「玲音が予めいなかった世界」を見せるパートは結果的に、この曲が無かったらもっと皮肉さが際立ち、見ている人を意図以上に苛立たせたかもしれない。
 そう思うと、この曲が作られていて本当に良かったと当時から思った。
 歌詞を見れば、単に明るい曲ではなく、寧ろシリーズの根幹部分にも関わるメッセージ・ソングになっているのだ。

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 鴎華学園の登校場面。
 初等科の子ども達が交じっているので新作カットだ。

 一話の玲音の様に、立ち止まる影。

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 だがそれはありす。何か心に引っかかりを覚えている。

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 と、ありすを呼ぶ声。

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 樹莉と麗華が合流し、今夜サイベリアに行く話をしだす。

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 ありすは「ならメールしなきゃ」とNAVIを出すのだが、

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 一体誰に出すのか自分でも判らなくなっている。

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 その内、「あの子はもう駄目だよ」と指で示したのは――

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 四方田千砂。一度クラブに誘ったが、全く楽しめずに帰ってしまったらしい。

 ありすの挙動を心配する樹莉だが――、

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 ありすは「そっか」と自分で納得する。

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「記憶に無ければ、最初から無かった事。記憶に無い人は、最初からいないって」

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 この後、シナリオではありすはもっと吹っ切れた台詞を述べるのだが、コンテで「お勉強しましょう」と真面目なものに変更されている。

 

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 電線で繋がった――

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 渋谷宇田川町。横断歩道で荷物持ちじゃんけんするキッズ。

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 多分、永遠にマサユキが負けていそう。
 横断歩道を渡っていると、坂上から降りてくる――

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 と、タロウのNAVIモーゼルC96グリップ風のこのタイプは、PHANTOMa少年が使っていたNAVIなのだが)に通知。

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 タロウのNAVIのOSはKids OSというものらしい。そのインターフェイスにノイズが走り、一瞬姿を見せる玲音――

 だがタロウに見覚えはない。ミューミューが「誰その子」とこれはいつも通り。

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 小さな妹を連れているのは、

 

 

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 2話のアクセラ少年。

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 妹は3話の「ガッチャ」というかビケちゃんを持っていた幼女。
 NAVIを巡ってタロウと軽く絡むのだが、この件はシナリオには無く隆太郎さんが加えたもの。言うまでも無く必要な追加だった。

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 そして坂を下りてくる英利政美。「やめてやるあんな会社やめてやるぼくにあんな事させるなんてやめてやる」――。

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 彼だけは不幸な様だ。

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 ふと目を脇にやる。

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 電線工事をしているMIB。

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 林とカール。
 盗聴・物理ハックの基本はこうした地味な作業で、彼らはインテリジェンス・ビジネスでもかなりランクが落ちてしまったらしい。

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 何を思って工事を見ていたのか、プロトコル7構築のヒントを得ようとしたのか――、
 再びぶつぶつ呪言を言いながら去って行く。

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 美術設定で建物などは変えられているが、明らかに宇田川小学校下がモデル。
 

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Layer:13 Ego - The Final Solution

 

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 アバンも何もなく、いきなり玲音がノイズの中に現れる。
「えっと……」

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「またあたし判んなくなってきちゃって……」

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 自身の実在性を全く信頼出来なくなっている玲音。

「あたっして、誰?」

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 オープニング。

 コンテ・演出:中村隆太郎 作画監督:丸山泰英 関口雅浩

 最後のサブタイトルは「自我」

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 前話リプライズから始まる。英利政美の再肉体化変容を、玲音はありすを救いたい一心で制圧。

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 しかし、ありすはあまりの恐怖に精神が崩壊。

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「ありす!」

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 ここからは音楽も音響効果も全く無い。

 もうありすの目の前に玲音は、「友達」はいない。

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 玲音は必死にありすの両手を持っていたのだが、ありすに振り切られ、爪が頬を切ってしまう。

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 ひたすらに脅えるありす。
 玲音は――、

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 パニックが波状的に押し寄せるありす。
 
「あたしがありすの為にする事って、いつも間違えちゃうね。ホントにあたしって――」
 このダイアローグは隆太郎さんが加えた。

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 玲音はありすを抱き締める。もがこうと一瞬するも、ありすはすぐに脱力。

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 もう恐怖すらも感じなくなってしまう。

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「ありす、ありす、ごめんね、ごめんね」

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 溶暗。

 

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 そしてドーンと言う音と共に表示される「ALL RESET」の文字。

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 そして「Return」が押される。
 Returnで良かったのか、Enterの方が良かったのか……。

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 デジタル・ビデオ編集機の高速巻き戻しがモンタージュされ――、

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 全てがノイズに消えて――

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 長いホワイトアウト

 


 
 ここからの展開は、視聴者には軽い失望と共に予想がされていると思っていた。

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 もーーーん
 電線ノイズ。

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 ハイコントラストで影の中には赤。

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 一話からのバンク。

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 岩倉家の玄関が開く。
 が、誰も出て来ない。

 日常の食卓。
 洋食と、

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 和食。

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 洋食は美香だけ用。「ごちそうさま」と中途で立ち上がる。

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 この後、康雄に「まだ途中じゃないか」と窘められ、美穂に「ダイエット中なんですって」という台詞で終わる筈だったのだが、コンテ段階で「言わなくていいって、そんなの」という台詞を短いのだがオフ台詞として足して貰った。
 美香は手だけしか描かれていないのだが、間合い的には入りそうなカット割りだったので、隆太郎さんは了解してくれた。
 

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 着払いの荷物に関する会話。「また計算機のですか」


 もうコンピュータを計算機とは呼ばなくなって久しい。
 納豆を混ぜる、糸を切るといったロングの芝居がリアル。

 康雄は、使われていない席の事が気になり、美穂に「なぁ」と呼び掛ける。

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「なんですか?」
 

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「いや、何でもない」

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 この家族はこの3人だけだったのだ、最初から。

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 ワイヤードは日常の風景に溶け込んで――

 玲音がいない電車内。

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 そう。これは玲音が最初からいなかった世界。

 

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「lain」のオープニング

 

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 最終話の回顧に入る前に、やはりオープニングについて詳しく触れておかねばなるまい。
 OP曲bôa「Duvet」については本ブログ初期既に記している。
 
 恐らく2話とほぼ同時期にこのオープニングはコンテが描かれ、豪華な作画陣と極めて精緻な編集を経て作られた。
 だからシリーズがどういう展開をし、如何なるエンディングを迎えるのかについて中村隆太郎監督はまだ見通せていない時期に作られている。
 しかし、どういう「終わらせ方」にするかについては、もうこのオープニング演出の時点で隆太郎さんの中には抽象的にではあっても既に見えていたのだろう。

 

 私はこのオープニングを「いいなぁ」とは毎週思いつつ見てはいても、このオープニングが何を表しているのか、積極的に解釈をしようとは思っていなかった。しかし結果的にはこのオープニングに収まる様な物語の閉じ方へと進む事になった。
 この事に気づいたのは本当につい最近、放送20周年でTwitter同時視聴会をしようという、ファンの人達に応えて見返し始めてからだった。

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 2拍目裏からヴォーカルのみで始まるのを受けて、街で佇む玲音の後ろ姿にトラック&ズーム・アップするカットから始まる。

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 原案・企画のproduction 2ndは実質的にueda yasuyukiプロデューサーその人。当時の所属部署名の無理矢理英訳だと思う。

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 何でかメイン・タイトルなのに「serial experiments」の表記がない。

 このオープニングには玲音以外の人間は点描されるモブしか登場しない。鴉が唯一の生き物として描かれる。

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神霊狩 -GHOST HOUND-」のオープニングでも、リアルな鴉のアップがあるのだが(岡真里子さんが嬉々として描かれていた)、隆太郎さんにとって鴉はどういう存在だったのか、とうとう訊く機会が無かったのは本当に無念だ。

 

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 上田Pの元上司、Gencoの真木太郎さんは「アミテージ・ザ・サード」のプロデューサー。
 私はそれ以前「突然!猫の国 バニパルウィット」が最初の真木さんとの仕事だった。

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 飛び立つ鴉の群れを恐れる玲音。

 飛び立っていった先を見上げると――

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 ここまでは周囲の全てに脅えているかの様な玲音像だったのだが――

 異なる表情の玲音が、アナログ・ビデオ・ノイズの中から映り込み始める。

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 赤キャミの玲音は、「ワイヤードのレイン」の元型となる。

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 このオープニングはMV的な性質も色濃く、ところどころで玲音は唄にリップ・シンクしている。


 点描各種。

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 壮年の男性も若い女もいる、パーティー的な場なのだろうか。
 テレビの中の玲音は腕を振り上げ、何やら激しくアジテーションをしている様だ。

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 しばしばはさみ込まれる、モニタ再撮。
 リップ・シンクしている。

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 ショウちゃんの元型となった、ゲーム少年。奥にはエプロンをした母親がいる。
 左右分離式のゲーム・コントローラって、Switch以前にあったのだろうか。
 テレビの中の玲音は、「しーっ」と唇に指を当てているが、少年には見えていない様だ。

 キスを交わす若い男女。

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 シリーズで、度々キス場面があったのも、このカットがあったからだ。
 テレビの中の玲音は極めて不機嫌そうに二人を見ている。

 

 そう、テレビモニタの中には、視聴者には気づかれずとも、いつも玲音がいてこちらを見ている。

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「Duvet」のオープニング・エディットは、1chorus目が終わるとCメロ(間奏的なジャスミンスキャット)に直結し、クライマックスに最短で到達。

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 キャミ玲音のステップはテンポにマッチしている。

 多くの実写、写真素材が背景に用いられていて(いずれにも人間は写っていない)、本作が実写を本編でも導入する伏線的にも見える。

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 物憂げな玲音のアップ。

 

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  哀しい目をして振り向く玲音。

 

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 そして、歩道橋。
 階段下に佇む玲音に接近していくキャメラ

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 踊り場で角度が変わる、強いて言えばステディカム風ショット(歩いて接近していく視点)。

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 顔を上げ、

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 階段を上がり始める玲音。何故ここでカットを分けてディゾルヴ処理したのだろうか。

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 その歩道橋を上がる事が、彼女にとってどういう意味を持っていたのだろう。

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 既に玲音の姿にブラーが掛かって、実体を失いつつあるかの様。


 橋の上で突風に煽られる。

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 キャップが風に飛ばされるが――

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 その時、前を過って羽ばたいていく鴉を見つめる玲音――

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 改めて見直して、オープニングで玲音を描いたカットの中で止め絵はここのみだ。後は全てアニメーションになっている。

 

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 そして、帽子は空中に留まっているが、玲音はポケットに手を突っ込んでそのまま歩いていく。
 ここで監督クレジット。

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 そして提供バック。ワイヤードの中からこちらを見つめていた玲音、哀しそうに首を振って虚空を仰ぐ……。

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 最終回はイレギュラーな入り(冒頭に『プレゼント・デイ』がない)というのが理由なのか、尺調整か、或いは別な監督意図があったのかは判らないが、編集が異なっている。
 監督クレジットは玲音以外がモノクロになった引きで極めて短く入るだけで、歩き去っていく後ろ姿のカットは入っていない。

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 インサートを除外すると、このオープニングでは無人に見える街を独りで玲音は歩き、歩道橋を渡って道の向こう側へ去って行く、ただそれだけの展開。
 人がいない街(鴉はいる)。
 道のこちら側からあちら側へと渡る歩道橋。
 去って行く後ろ姿。
 テレビの中から訴える玲音。

 こうしたフラッシュ・イメエジが、終盤のストーリーと物語の結末を考える私に、極めて強い誘導をしていた。
 更に、このエントリで述べた中村隆太郎監督の、シリーズ序盤のヒロイン像評。
 どんなに無駄な抵抗をしたとしても、「lain」シリーズの物語は自ずとかくある結末を私の中で決定づけられていた。

 OP/EDスタッフ。
 エンディングはところともかずさんの一枚作画。
 12話にも参加された山下明彦さんは、ジブリに行かれる前のこの時期、トライアングル・スタッフの「魔法使いTai!」等にも参加されていた。しかし私が初めて挨拶したのはサンライズの「THEビッグオー/Act.07」で素晴らしいイメージボード(絵コンテのクレジット)を担当された時だった。片山一良監督が「この人天才だから」と言っていた。

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Cyberia Layer_2

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 WASEI "JJ" CHIKADAさんの新譜「Cyberia Layer_2」は多くのゲストとのコラボで、もう完璧ガチなゴリゴリのフロア・サウンドなのだけど、ちょこちょことサンプリングで「lain」の世界観が透けて見えてきて、紛れもなく放映当時、直後の「Cyberia Mix」からシリアルに繋がっている。
「Duvet (ScummV Remix, JJ's "Another”Edit)」の入ったEP「bootleg Mix」(『Layer_2』購入者にもDLCが用意されている)は、その前に入っている「Cyberia Layer_2 JJ's bootleg DJ Mix」が凄い。凄まじい。56分ノンストップのDJ Mix。
 40hz以下を再生出来るシステムで大音量でないと、「クラブサイベリア」で体感出来たサウンドを再生は不可能だが(普通の家庭では絶対に無理)、ちょっと気分を上げて仕事をしたい時には最適なBGMになってくれる。
 そしてまだ一週間も経っていないのに、既に「懐かしさ」すら感じてしまっているあの「クラブサイベリア」の宴の熱気を活き活きと甦らせてくれる。
 リリース情報はWASEI "JJ" CHIKADAさんのアカウントをチェックされたい。

追記

 2018/07/14 0:00より、ウェブサイトにて通販が開始されている。

 


lain」シリーズで、クラブという場を主要舞台の一つにしたのは、本ブログでも記したと思うが、家の自分の部屋、家族と過ごす居間、通学の電車、学校――と言う、閉じたサイクルのルーティンから逸脱した場所が欲しかったからだ。
 だからと言って、中学生のドラマなのに渋谷のクラブ、っていうのはあんまりな飛躍だし、普通の監督やプロデューサーなら「幾らなんでも」と止められたかもしれない。

 当時のネット民というのは、基本的には自室に籠もる性質の人の方が圧倒的に多く、オフ会に積極的に参加する層は限定的だった。
 今でこそクラブ・イヴェントもSNS有りきで告知されるのだろうが、20年前は水と油の関係で、だからこそフィクションとして結びつけた。

 実際に舞台の一つとして設定してみると、現実世界とワイヤード、その両方に同時に存在している玲音が、その中間域としてコミュニケーションをする場としては実に有効な選択であり、サイベリアの場面は短くではあるが当初の想定よりは遙かに多くなった。


 リアルとワイヤード、アニメと現実、その端境がクラブだという意味では、先日20周年記念としてファンの方々が幾多の困難を乗り越えて実現したイヴェントにて、多くのアニメで起きた事の再現――トイレのドア一面に「預言を実行せよ」と朱書され尽くした様(男女トイレをそれぞれシオドアさんとカケラ星さんが10時間かけて書かれたそうだ)や、ハウスミストレスがアクセラを配るといった「2次元と3次元の領域が崩れる」感覚も、まさに20年前のアニメでやろうとしていた思想とまさに通底しており、恐らくあの場で、あの出来事の数々を誰よりも驚愕していたのは私だったのではないか。

 JJというDJのキャラクターも、「玲音(レイン)に敬意を抱き、大人として接してくる人物」として、玲音をより膨らませる事が出来た。
 その声を、近田和生さんという実際にDJとして活動されている方が演じ、後に「Duvet」のクラブ・ミックスを作るのだから、「lain」のリアル世界への音楽面での侵食は、JJが嚆矢だったのだと言えよう。

 

 仲井戸"CHABO"麗市さんの劇伴にも、実はたつのすけさんによるドラムンベースっぽいサウンドのトラックもあったのだが、そこばかりではなくミニマルなサウンドを好む中村隆太郎監督の意向で、多くの楽曲が2nd Unit Musicこと竹本晃さんに毎回発注されていく。クラブ場面の音楽をどうするかという時、隆太郎さんは「ピンク・フロイドみたいな」といった無茶苦茶を言っていた様だ。
 そんな事言われてもなぁと落としどころで作られていったのが「Cyberia Mix」の竹本さんのトラックで発展しており、今や入手困難な限定CD,CD-ROM「Bootleg」にサントラは収録されていた。
 実のところ3rd Unit Musicとも呼べる存在だったのは、音響効果の笠松広司さんで、効果として発注されたのに、タブラのソロ&持続音みたいな、視聴者なら「あーこれこれ」と思うアイコニックなサウンドを提供した。
 後の「神霊狩 -GHOST HOUND-」では、劇伴も含めて笠松さんが担当する。


 さて話を戻すが、「lain」のシリーズに於いてクラブとクラブ・ミュージックは、当初の構想には全くない要素だったにも関わらず、シリーズが終わるまでには、実に重要な要素の一つになっていた。
 9話の「Play Track 44」といったダイアローグは、だから書けたのだった。

 まあしかし、以前にも書いたが、2クールあったらもっとサイベリアの描写も、JJのDJプレイも描けたのに、と詮無い事を思ってしまう。

 だが、JJは今尚バリバリ現役。聴きに行きたい、踊りに行きたいと思えば可能なのだ。
 そして、オフ会もクラブも遠慮したいという、「lain」ファンでの寧ろ主流な人達にも、インディーズのCDとして漏れなく届けられる。

 放送から20年経ったマイナーなアニメ、見た人からも「好き嫌いが分かれるだろう」と必ずや言われるアニメなのに、今尚ムーヴメントが地下水脈として存続していた事には、驚きを禁じ得ない。

 


 あれこれとあって仕事が逼迫して、最終話の回顧どころかキャプも録れずにいたのだが、やっと少し余裕が出来たので、ぼちぼち取り掛かっていく。

 

 

アフターオフ会

 

 クラブサイベリアの翌日、ファン交流「のみ」という趣旨のオフ会をシオドアさんが提唱し、くろぐろさんが幹事役を引き受けて、くらさん、落選組だったペリーさんなどがスタッフを務めて60人以上が恵比寿に集まった。
lain」製作時のPioneerLDCはその近くにあった。ついでに言えば「ありす in Cyberland」の開発元も。

 流石にこれはファン同士の会だからと、シオドアさんに最初に誘われた時は躊躇ったのだけど、クラブサイベリアは怒濤の体験イヴェントではあっても、「会話」をなかなか出来ない場ではあったので(ラウンジだとそういった交流もあったと思う)、行ってみる事にした。
 玲音のドールを作られた方がいたので、私も「では」といにしえのドール(放送後一年後辺りに自作。衣装はノアドロームという人形服ブティック製)を持参したのだが、人形の方はもう帰られていた。

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 流石に強烈な夜だったクラブサイベリアの翌日なので、人形を持って行く以外の何も考えておらず、写真すら撮らなかったので、イヴェントのキー・ヴィジュアル、しおんさんの絵をバックに撮ってみたという。
 当時はジェニーボディで作っていたのだけど、どうも頭身が高すぎたので、アゾンの素体に換えてあった。なのでパジャマはかなーりブカブカ。

 

 

 近田和生さんも来られていて、「Duvet」の新エディット版を作ろうという契機になったのは、私が「すげえ」とTweetした、凄まじいテンポダウンしたエディットのYouTube動画だったと教えて貰って、はぇ~、繋がっているんだなぁとここでも。

 

 #lain20thタグで見慣れた方々とリアルに会うというのはなかなか愉しくて、私は2時間くらいだけだったのだが、延々と話をしていたと思う。

 思春期時代に「lain」を見て救われた、という話を聞かせて貰った時には、心から良かったと思う一方、やっぱり「なんで?」という疑問も拭えないのだけれど、いや、結果そうなのだからオーケーなのだ。

 クラブサイベリアでは「アフターアワーズ」の西尾雄太さんと話せたし、オフ会でも既にマンガ家な方々もいたし、小説を書いていこうという人達もいる。「lain」が好きでプログラマ、SEになった人の例も幾つか見てきたし、そういう触媒になったというだけでも、意味のある作品だったと思えて、スタッフの一人としては嬉しい。


 クラブサイベリアのスタッフ達には認識出来た限り御礼を言ったと思うのだが、入り口近くから全く動けず失礼があったら申し訳ないです。

 

 本当はクラブサイベリアで、ジャスミン・ロジャースのビデオ・メッセージが上映される予定だったのだけど、何故かシオドアさんのところに送られてこなくて、でもその理由は昨晩判明した。
 メンバーを集めて、アコースティック版の「Duvet」を新規に演奏・録画してくれたのだった。
 20年前と全く印象が変わらないジャスミンの姿と、そして歌は沁み入るものがある。