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serial experiments lain 20th Anniversary Blog

Blu-ray Boxの発売

 

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 2010年、「serial experiments lain」のHDリマスター作業が行われる。大々的な作業で多くのスタッフが関わるが、上田Pが自分でもチマチマとしか進められない作業を担った経緯は、彼のブログに記されている。

 serial experiments lain Blu-ray LABO プロデューサーの制作日記

 

 そしてついにBlu-ray Boxが発売となり記念イヴェントが開催された。
 この時の事はGigazineで詳細にレポートが記されている。

gigazine.net

gigazine.net


 中村隆太郎監督にも出演を請うていたが、上田Pにメッセージをメールで送るに留まった。自らの状態を「ホジスン教授」に準えており、聞いていて胸がつまる思いをした。

 Gigazineには、二年前の「プレイバック中村隆太郎」イヴェントのレポートもして貰っている。

gigazine.net


 さて以上が「lain」の辿った道だった。
 
 20周年をファンが祝ってくれると知って、何か支援出来ないかという意図からこのブログを始めた。
 私の「lain」についての記述はシナリオ本の注釈で既にある程度書いていたが、あくまで注釈という狭い枠での記述で、触れられなかった事が多かった。
 また、あの本はコンテで描かれ、映像化され、音声が入った完成版ではないあくまでシナリオの段階のもので、完成作側から詳述しておきたいとも思っていた。
 文を書く上では映像のキャプチャを録っておかないと正確な事が書けない。
 
 一人で過去作を見返すのが苦手だったのだが、幸いクラブサイベリア主催のシオドアさんが提唱して、毎週金曜日に2本ずつ同時に(各自有するディスクか、配信で)視聴してTwitterであたかも放送されているかの様に実況をしようという面白い企画があり、そのお陰で全話通しとしては19年ぶりに観られたのだった。
 見たエピソードはDVDから(SD画質)キャプチャを録ったのだが、実のところ大変面倒な作業だった。
lain」は基本は35mmフィルム撮影のセル・アニメだが、多くのカットはデジタル、アナログで加工処理され、最初からデジタル作成されたカットも多い。
 で、これらのフレーミングが全てまちまちなのだ。
 アナログ放送時代、全てのテレビで完璧に表示させるのは不可能で、「セーフティ・エリア」というかなりの幅のマージンがとられていた。
 上田P達がHD化で死ぬ思いをした理由が少し判った。


 本ブログの書籍化を望まれる方がいたが、多大なキャプチャした画像が有りきの文章であり、現実的ではなくご容赦戴きたい。
 ブログという性質上、新しい記事から遡って読むのはなかなか面倒で、PC版だと右フレームに最初のエントリのリンクを貼って、ここから読んで下さいと記しているのだが、スマートフォンだと表示されていない。記事終わりまでスクロールして、「記事の一覧」を押して、そこから頭まで送って貰うしかない。
 はてなアクセス解析は端末まで統計を出してくれない(Google Siteはもの凄く詳細なデータを見られるのだが)。「Digimon Tamers Update」(テイマーズの回顧Tweetまとめ)のアナリシスを見ると半分以上がスマホからのアクセスだった。

 これから読まれる人には面倒を掛けて恐縮だ。
 ただ「lain」に関しては概ね述べ終えたと思っているので、全体量的には大したものではないと思う。

  ともあれ、ここまでお読み戴いた「lain」ファンの方々には御礼を申し上げたい。

 


 ここから先は、視聴者層が全く異なる別作品ながら、私の中だけでは「lain」の文脈として連続していた「デジモンテイマーズ」の回顧採録Twitterで小出しに書き綴ったものを、読み易くまとめる)をちょっとずつ記事にしていく。
 基本的には全てTwitterのモーメントにまとめてはあるのだが、私のアカウント画面では膨大なモーメントの数が「0」としか表示されないというバグがある(数字をクリックすると見られるのだが)。
 もうこちらもBD-Boxが発売されて暫く経つので今更なのだが、まとめて欲しいという声はとても多かった(し、これも書籍に出来る性質ではない)。

 

 また現在「TEXHNOLYZE」(未だBD化されず)の同時視聴会がやはり毎週金曜に開催されている。#TEXHNOLYZE15th のタグで検索されたい。

 上田Pインタヴュウ、浜崎博嗣監督と私の対談などが掲載された同人誌が間もなく開催されるコミケで頒布される。

「誰も見ていないアニメ」、「TEXHNOLYZE」も、これを契機に盛り上がるといいのだが。

  

 

 

 

放送後

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 放送開始時は誰も見てないのではと思いながら、次第にスタッフは検索で「lain」に言及しているサイトや掲示板を読んで、ちゃんと見てくれている人がいる――と、モティヴェーションを上げた事は前に記した。
 シナリオはもう視聴者の反応を受けてどうこう出来る余地は無かったが、画面の作り込みについては、間違いなく視聴者に「最高の映像を見せよう」という目的意識となっていた。

 

 最終回が放送されると、私がコンタクトをとっていたファンの人達から「玲音がウチに来ました」というようなメールを貰って、安堵したと共に、玲音がもう我々の手から離れたんだな、という寂しさを感じた事は確か当時サイトに記したと思う。

 まだシナリオ本やヴィジュアル・エクスペリメンツ(ムック)の作業があって、完全に終わったという実感が無かったのだが、やはり毎週放送していたものが終わったのだから熱は徐々に冷めていく。

 当時のネット・ユーザの一部で人気を集めていた、とは何となく判っているものの、それが具体的な数値となるものもなく、ただぼんやりと気に入ってくれた人が予想よりも多かった、という感覚でいた。

 

 全く記録もないので朧気な事しか書けないのだが、多分放送された年の内に、アニメの批評家の方だったと思うのだが、「lain」のトーク・イヴェントを新宿のロフト・プラスワンでやりたいという申し出があった。(諸々に記憶違いあり。下記の追記参照されたい)アニメのトーク・ライヴというのは今でこそ当たり前になっているが、当時サブカル界隈でもアニメのトークは珍しかった。
 というより、後で聞いたらロフト・プラスワンでアニメ関係のトーク・イヴェントはそれが最初だったらしい(特撮関係だとよくやっていたので不思議だが)
 人が集まるんかいなと思いつつ、メイン・スタッフ(残念ながら岸田隆宏さんは参加せず)は集合した。清水香里さんといったキャストは到底呼べなかった(それを考えても『クラブサイベリア』は凄かったのだが)
 驚く程に溢れんばかりの人が集まってくれた。事前予約など一切なく、告知も多分ウェブだけだったのだが、当時のハコの動員記録まで作ったという。
 イヴェントは夜なので、リアルな少年少女は当然いない。20~30代男性が圧倒的だったと思う。
 中村隆太郎監督が、こういうイヴェントに登壇したのはこれが最初で最後だったのではないか。

 何を話したのかも全く覚えていないが、今も残っていて驚いたlainのパロディ・ショート・ショート掲載サイト「おーぷん・ざ・ねくすと!」を見た事がある人、という観客への質問で、半分近くの人が手を上げ、しかも作者の人も来ていた。思えばあれは大規模な字義通りの「オフ会」だった。
 来ようと思った人も、他に誰が来るのかという興味で来ていたのだと思う。
 

 翌年春、いきなり飛び込んできたのが「文化庁メディア芸術祭」の優秀賞に選ばれたという椿事。
 へぇ、一体誰が選んでくれたのかと思っていたが、後で聞いたら、選考委員のお一人であったモンキー・パンチ先生が強く推薦して戴いたと知り大変恐縮した。
 授賞式が初台のオペラシティのホールで行われ、まあ授賞式自体は受賞者の中村隆太郎監督と上田Pだけが居ればいいのだが、何となくメイン・スタッフが集まって、この時は岸田さんも来られていた。
 隆太郎さんにとってもこれは栄誉な事だと思っていた筈だ。
 慎ましやかに受賞記念としてリリースされたのがbôaの「Tall Snake EP」(JJのCyberia Mixを含むDuvet三種とアルバム未収録曲を含むミニアルバム)。ジャケットは岸田さんが描かれた。


lain」のその後は、ここまでが全て。後は2010年のBD-Box発売記念イヴェントまで何もなかった。

 だから、20周年だと言われても現在の版元であるNBCユニバーサルが何かをする筈もなく、ただの「懐アニ」の1本として少数の人に記憶されるだけ――だと思っていた。
 ファンの人達が自らイヴェントを企画・開催して、夢の様な一夜が実現された事は「serial experiments lain」というアニメが今、最も誇れる事なのだ、と思っている。

 

追記

 角銅博之さんからロフト・イヴェント時の写真を送って戴いた。

 ステージから撮った写真はちょっとお見せ出来ないが、隆太郎さんのいい笑顔。
 角銅さんありがとうございます。

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追記2】

 えあドッターさんが当時の記録を発掘してくれた。
 年内ではなく翌年2月。岸田さんも来ていた。昼の部だった。
  う~~~~ん……。記憶って……。

 

an omnipresence in wired

 

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 「lain」の安倍吉俊画集「an omnipresence in wired(遍在) Yoshitosi ABe」(かつてソニー・マガジンズから発売されていた)が復刊ドットコムで復刻版として発売された。
 ゲーム、アニメ双方の為に安倍君が描いた多くの版権彩色イラスト、モノクロスケッチ、おまけマンガ「だめだめレイン」(玲音がシリアル好き設定の元ネタ)「ちびちびレイン」、描き下ろしのカラーコミックと、雑誌AX誌に連載していた「Layers」が完全収録されている。

www.fukkan.com ※復刊ドットコムでの購入者にはポストカードの特典がある。

 

 この「Layers」は、ワイドA4見開きの紙面を使って、安倍君の毎回アプローチが異なるイラストレーションに、私のテキストを組み合わせたもので、アニメのサブタイトルに沿ってはいるものの、ゲーム版に属するコンテクストも含まれ、またアニメ版では描いていない様な独自なものにもなっている。
 数年後に出たワニマガジン版ではオミットされていたが、「Layers」を回顧する対談がこちらには収録されている。何でこういうものになったか成立過程を詳らかにしよう、という意図だったのだが、連載後そう間もない時期だったのに二人とも覚えていない事柄も多く、自分達にとっても謎な部分がある。
 安倍君も私も、アニメの製作と同時進行だったので仕方ない。

 この時に私が書いたテキストは、私自身が手元に残してなかったのでうろ覚えだったのだが、連載のプレヴュウ的なLayer:00は、あくまで安倍君によるイラストがメインでテキストは飾り扱い(いや、連載も基本はずっとそういう扱いなのだけど)。
 プログラムの行の末尾、// 以下に書き加えられたコメントアウトに、意味の在り気な言葉を書き込んだだけだった。

 連載の正規な一回目は、まだアニメが放送される以前の掲載で読者には「何が何やら」の時期。読み返してみると、私達が「serial experiments lain」で何をしようとしているのかについてのマニフェストになっていた。
 書き起こしてみる。

――――

"Weird Tale"--
これから語る事は虚構の枠組みをとっているにも関わらずそこに遍在する事象は現実の何かを象徴せるものでありかつここに言語として刻まれその言葉が敷衍していったその時には真実へ転化しているであろう事を予言しておく。

"Wired Tale"--
事象の一つ一つはそれぞれが自己の実在性を主張しその存在そのものは何に依るものでもなく個別のものとしてそれぞれの居る場所を欲している。
しかしそれもまた恣意的な概念の一つに過ぎずそれぞれは脳内のシナプス同様ロジカルにかつ無秩序に結ばれている事をここで相互の理解の為に確認しておく必要がある。

玲音はレイン。レインはlain
それぞれは異なりそれぞれが同一。
接続する事で始めて人は種としての意識を持つ。
接続する事は人を単なる末尾にあるもの“端末”などではなく中継するものというとして連続性を勝ち得る。
繋げられるという事は続けられるという事に他ならないのである。
それは単に座標軸状の連続性ばかりではなく経時的な連続性もまた同様なのであり、即ちこの接続が意識的に引き起こされた時、死者達が彼らが居るべき場所より甦りこの接続の起点となるべき時間座標にその姿を見せていくに違いない。
接続の起点とは、単に肉体を有している時間だという事がその時に諒解される筈であり、肉体持つ意味自体までも揺らぎ始める。
恐れてはならない、この語りを。
恐れねばならない、玲音を。

接続されている事を認識せよ。
おのれを連続させよ。

――――――

「、」を極力抜いた悪文なのはご容赦願いたいが、シリーズの1話から最終話まで、何を語ろうとしていたのか、抽象的にはもうここで私は文字化していた。

 このLayer:01が、私が先に記した同ポジの玲音の連画が描かれている回。

 徐々に文章量は減っていき(あんまり絵を邪魔しちゃいけないだろうと段々遠慮していった)、Layer:08 RumorsではJポップの歌詞的な散文を書いた。安倍君が描くありすを見られる。
 誰かこの歌詞で歌を作ってくれたら嬉しい(詞としての言葉は足りないので補って欲しい)。


 やはり最大の見せ場はLayer:11 Infornographyだろう。
「目指せケーブル10万本」という命題を(何故か)中原順志氏から与えられてのケーブル地獄。安倍君の描く四方田千砂もここで見られる。
 完成画より、次頁に掲載されている線画の方が圧倒される。


 私個人的な「エゴ」で、マドレーヌのくだりをLayer:13では安倍君にグラフィック・ノヴェル風に描いて貰った。ここでやっと(当時の)私は気が済んだ訳で、安倍君には今尚感謝している。

 

 本ブログを書き始めた頃は「復刊ドットコムにリクエストして」と書いていたのだが、ブログ執筆期間中に発売されたのは嬉しい(尚、オリジナル版の時から私には一銭も入らない約束になっている)

 

Layer:11 Infornography - Editing Infornography

 

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 今になってだが11話の補遺。

lain」のビデオ編集は、やはりInfernoではなく(もう型遅れな時期だった)、ハレオという当時最先端のシステムで行われていたそうだ。
 11話Aパート総集編は、上田Pだけではなく中村隆太郎監督自身も手をつけていて、34時間?くらいぶっ通しで作業をしたという話を、過日のファン主催イヴェント「クラブサイベリア」で出番を待っている間に上田Pから聞いた(いや、当時も聞いていたのだが私が忘れていた)
 二人同時に出来る筈がなく、片方が寝ている間にガーーーーッと片方がやり、疲弊して倒れ眠ってしまう間にもう片方がおもむろに起きてガーーーーッとやるという地獄。
 で、当然「俺がこうやったのに何でこう直すんだよ」という喧嘩が始まる。

 11話Aパートの34時間は流石に修羅場の権化だった(納品リミットとの闘い)が、毎回最終V編は大体そういう殺伐とした……、
 あ、いやダビングも「bootleg」にある上田Pと竹本晃氏の回顧対談によると、こちらもかなーり殺伐とした感はあった様で、ともあれスタッフは皆、愉しくなんて到底思えないギリギリな闘いをしてたのだった。

 私は7話、9話の映像製作をしたぐらいだが、9話の頃は熱があってフラフラ状態でやっていたとシナリオ本には書いてある(全く記憶が無い)。
 しかしそれが出来ただけでも貴重な体験だった。
 現場が動く時点で、シナリオライターに出来る事はもう無いのだから。

 で、今になって思うのは、「lain」の頃はそんな風に隆太郎さんもオール・アウト状態まで詰め切る元気があったのだなぁ、という事だ。
 2010年BD-BoxのHDリマスター作業、上田Pは往時の勢いで取り組んでいたが、隆太郎さんは電車に乗れず、約束の場所までも来られなかったのだから。

 


 さて、一通り全話の回顧を終えた。
 この後はAXの連載など、書き残した事を幾つか書いたら一旦終了となる。

 見直して自分でも驚くのだが、「lain」と「デジモンテイマーズ」は自分で意識していたよりもずっと連続性、対称性があって、それについてはTwitterアカウントのそもそもの趣旨でもあったので、書くつもりだ。

 

Layer:13 Ego - End Credits

 

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 最終話は各話で作監を担当されてきた関口さんと丸山さんの二人態勢で務められた。
 作画期間は2週間。岸田さんも最後まで力を尽くされた。

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 動画・仕上げはシリーズを通して韓国の星山企画(異体字)にお世話になった。

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 背景は美峰と獏プロダクションとが交代で担当されてきた。

 

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 キャスティングは大沢事務所の松岡超氏。
 玲音役は先にゲームで200人を超える候補からオーディションで清水香里さんが選ばれていたので、概ねは松岡氏と鶴岡陽太音響監督がキャスティングしていった。
 ありすの浅田葉子さんだけは、「ありす in Cyberland」との自分の中の連続性を見出したくて私が推薦していた。

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 松浦錠平さんは今話でもデジタルワークを担当されている。

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 上田Pの同僚、井出美恵さんには色々と世話になった。
 製作デスクの廣川隆志氏はこのシリーズ後間もなく、アニメ業界から離れるが、一年後辺りだったか、何度かメールでやりとりをした。彼にとっても印象深い作品だったという。

 

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Layer:13 Ego - lain is still there in wired.

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 オープニングに隆太郎さんが描いた歩道橋の場面は、最終話でこういう形で私が結着をつけた。
 改めて言葉にしても何だが、玲音とれいんの対話でもあった様に、ワイヤードは単に繋げる場であって、それは歩道橋も同じなのだ。


lain」シリーズは、PlayStation版ゲーム「lain」と対になる作品であり、放送中にゲームは発売された。
 ゲームのムービーのエンディングを踏襲する事は止めたものの、最終的な着地点、視聴者・ユーザに伝えられるものを同一な質感に出来ないかと私は模索した。
 ゲームのネタバレになって恐縮だが、20年後という事で御寛恕願いたい。
 ある程度の規定フラグを立て、ムービーを全て再生出来たユーザは、最初に登録したユーザ名を玲音の合成声で「●●●、いつまでも一緒だよ」というメッセージを聞く事が出来る。
 まだ合成音声技術が未成熟な時期の作なので、名前を呼ぶイントネーションは極めて不自然で、本来の意図である「ボーナス」感、ゲームのキャラクターとパーソナルな関係で結ばれたという歓びよりも、恐怖感を抱かせるケースが多かったという事は後になって知る。
 
 テレビ・アニメで、キャラクターが視聴者に、直接話法で語りかけ、テレビ放送というメディアを超えた体験を(擬似的に)提供するにはどうしたらいいか――。

 これはオリジナルのキャラクター・デザイナーである安倍吉俊君自身が原画を描くしかないのでは。
 まあこの発想が全く自分でも論理的ではないのは自覚していたのだが、私は隆太郎さんと安部プロデューサーに頼み込んだ。
 多分隆太郎さんには、あまり好ましいアプローチではなかったかもしれないが、ゲームとのコモンな関係性を訴えて納得して貰った。

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 安倍君は当然ながらアニメーション、原画用紙に描く様なそれは描いた事が無い。
 しかし私が「いけるんでは」と思った根拠は、放送と平行してAX(というソニーマガジンズのアニメ雑誌があった)の連載(これ自体についてはまた稿を改める)の中で、玲音が頭を抱えるという同ポジの連続画を安部君が描いたのを見ていたからだった。

 安倍君は戸惑いながらも、まだプロの絵描きとして駆け出しだったというのもあって、無茶な要望を(半ば否応無く)聞き入れ、トライアングル・スタッフに2日ほど通ってエピローグの原画を描く事になる。
 実は20年間、安倍君がトラスタに詰めたのは一週間ぐらいだと思い込んでいたのだが、今日会ったので確認したら「いや、1日か2日くらい」だと答えられた。記憶なんて本当に当てにならない。

「人はみんな繋がっている。そこにあたしはいる。だから、ずっと一緒にいるんだよ」

 アナログの放送波が途切れた様に像が圧縮して――

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 ここで全編が終わる。
 シナリオではもう1頁以上、情景のエピローグがあるのだが、既に同じ様な場面は前に移動してコンテに描かれているので、最早不要だった。

 

Layer:13 Ego - Footbridge Over Troubled Water

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 アブノーマル版アバンに直結して、夕刻の街の場面となる。
 これは渋谷といった特定の街ではない。オープニングがそうである様に。

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 美しく成長したありすが、婚約者と新居の相談をしながら歩いている。
 恐らく伴侶に選ばれたのは、中学生時代に憧れた教師なのだろう。

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 歩道橋の欄干に、そっと手を乗せる――

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 ふと見上げたありす、歩道橋に立っている人物を見て、将来の夫に「ちょっと待ってて」と駆け出す。

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 待っていたのは、玲音。穏やかな顔で見つめていた。

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 ありすの玲音と過ごした記憶は当然失われている。いや、存在していなかった。
 だが玲音には懐かしさなのか、何かとても気になっている。

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 教育実習で会ったんだっけ? と自問するが、玲音は――

「はじめまして」

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「え?」

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「はじめまして、だよ」

 
 この台詞に、シナリオライターとしては万感を込めた。
 玲音という少女は、自分がどういう出自、経緯で生まれたかははっきりしないが、明確な事はある。それは「誰とも繋がっていない」存在だった。
 その彼女が、岩倉家で、学校で、ワイヤードで、人と繋がってはじめて「玲音」という存在になった。
 ワイヤードはウィアードであり、人の悪意や意図せぬ攻撃、負の感情の拡大などでリアル・ワールドにバイアスを掛け、歪める時もある。だが、それも紛れもなくコミュニケーション。
 他者と触れ合わなければ、人は人とは言えない。

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 玲音がどれほど辛いものであっても、自分の記憶を抱き続け、そして初めての「友達」となってくれたありす、そしてワイヤードで触れあった人達を、見つめ続けるという玲音自身の「選択」をした。
 シリーズを通して、異様な物語の異様な出来事に翻弄され続けた玲音だが、最後には自分自身の意思を通した。
 
 この場面のアニメーション、そして清水香里さんと浅田葉子さんの演技。全てが完璧だった。
 隆太郎さんはまた違う感想を抱いていたかもしれない。しかし私には理想的だった。

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 そしてありすと婚約者は玲音に別れを告げ去って行く。

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 いつかまた会えるよねと告げ。

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 ありすが去って行く姿を見つめ続けながら、玲音は言う。

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「そう、いつだって会えるよ……」

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 シナリオでは「いつだって会えるよ、ありす……」と書いており、コンテでもそうなっていたのだが、アフレコの時私は考えを変えた。
 この後のエピローグは、玲音が視聴者の前にメタとして直接話法で語りかける。
 シリーズを通して我々が訴えねばならないのは、「玲音を好きに」させる事なのであり、それは視聴者に普く向けられなければならない。
 だから「ありす」というダイアローグを削ろうと思ったのだ。

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 ロングで口が見えない箇所なので、問題はない。
 隆太郎さんにも確認し、削った。

 でも20年後に見直した時、やはりこの場面は「玲音とありす」の物語の終幕なのであって、削らなければ良かったと強く後悔した。
 康雄との場面は、何回か観る内に「これでいい。これが正解だった」と思う様になったのだが、この歩道橋の最後の台詞を削ったことを、20年後に後悔する程往生際が悪いとは、自分でも驚く。

 この最後のカット、もうありすはおろか他の人間は消えている。
 オープニングに「繋げ」た。