「serial experiments lain」を各自所有するディスク、或いはAmazon Prime Videoなどのストリーミングで同時に再生し、Twitterで実況しようというネットならではのイヴェントが開催された。
7月に「クラブサイベリア」という20周年イヴェントを企画しているシオドアさんがプレ・イヴェントとして提案したもので、そこそこ盛り上がるだろうとは思っていた。
22時ちょうどを過ぎると、リアルタイムで #lain20th のTweetを流していたら、恐ろしい速さでスクロールしていき、短い時間に3000以上のTweetがあって、トレンド入りまでしてしまった。
私は自分の過去作の事はよく言及するが、実際に作品を(一人で)見直すというのが実に苦手で、2010年にリリースされた「lain」のBD Boxも封を切らずにいた。
中村隆太郎監督は既に当時フルに監修出来ない状態だった。
上田Pが「え、そこまでやったの」という苦労をして字義通り「Restore」した労作なのは判っていたが、何か抵抗があったのか、なかなか見てみようという気にならなかった。
良い機会だと同時視聴会で見たのだが、いやもう美麗で溜息が出る程だった。
冒頭のノイズ辺りは新たな素材が注ぎ込まれ情報量を増しているので、原典主義な人には抵抗があるかもしれないが、この作品に於いては正解だと思う。
「lain」はセル・アニメ末期の作品で、アニメーション自体はフィルムで撮影されている。大きなタイトルでも無い限り、テレビアニメは16mmフィルムで撮るものだが、「lain」は35mmで撮られていた。どちらかと言えば低予算作品なのだが、ビデオ素材との合成が多い事などからこの措置が採られていたのだと思う。
そしてこれがHDリマスターでは凄まじい威力を発揮した。
特に1話は、全ての作画も演出も有無を言わさない段階に達しているのだが、それがここまで美麗にレストアされたのだから、オリジナル/レストア全スタッフの労力は報われているなぁと感じ入った。
Layer:01 Weirdの内容そのものについては後に記すが、この同時視聴会という一種の疑似イヴェントが、実は「lain」というアニメが20年前に到達しようとした結論――「玲音は遍在する」という観念的エンディングが、まるで20年という時間をいとも簡単に飛び越えて甦らせているという感覚になって、背筋に冷たいものを感じさえしたのだった。
これはもうテレビと同じではないか。
メタ・レヴェルで視聴者と作品が繋がる事こそを理想とする私の望む形が、BD Boxの発売からも8年が経った今、ファンによって再現されていた。