視聴者に異様な体験をさせるのが1話なら、2話からは徐々にドラマとキャラクターを(比較的には)判り易い語り口で提示していく。
しかし勿論、判り易いレヴェルというのがこの作品の場合は通常とは異なるのだが、それでも「ああいかん、判り易過ぎる」と揺り戻す。シリーズを書いている時の生理はそういった揺り戻しの振幅をしていた気がする。
テレビ・アニメには「バンク」という概念があって、今の視聴者には「毎回流れる変身場面や決め技描写」と了解されているのだが、本来商業作品ならそれでも少しは表現を変えるのが送り手の理想だった筈だ。しかし現実的ではなく、ならば、全く同じ場面を流す事で寧ろそれ自体をイヴェントとして愉しんで貰うものへと進化した。
「デジモンアドベンチャー」の進化バンクは、それ専用の、そこでしか流れない歌を流す事でそのイヴェント性を高める事に成功した作品だったと思う。
だが本来業界用語の「バンク」は「鉄腕アトム」に於いて、テレビでアニメ・シリーズを毎週放送するという、その当時では不可能と誰もが考えたミッションを、キャラクターを止めて口パクでの表現や、2コマ3コマでの動きといったリミテッド・アニメーションという、それまで世界には存在しなかった映像表現を生み出した一貫の一つであり、レギュラーの同じ様な動きのセルを保存しておいてその後違う話数の似た場面に使おうという、極めて経済的な動機から生まれたものだった。
「serial experiments lain」でも当然ながらバンクは多用された。
冒頭の夜の街の描写に被さるヴォイス・オーヴァーは、人の声で発せられてはいるものの、問わず語りな自分語りが主体で(電話のそれも混在している)、同時視聴会のTweetでは「Twitterみたいだ」という意見をよく見られた。
2話で新たな物語の舞台「クラブ・サイベリア」が登場する。
現在でも当然そうである様に、風営法が管轄する以前のクラブであっても中学生や小学生が入れる様な場所ではなかった。
なぜそういう舞台を、昼間の学校と対比させる意図で配置したかは、1話から提示してきた中学生の玲音の第一印象と、最も掛け離れたアナザー玲音がリアル・ワールドの何処に居るのかという想定から導かれたのだと思う。
現在、健全にクラブを経営されている方々には申し訳ないと今となっては思うのだが、危険物の取引などひたすらアンダーグラウンドな側面を誇張して描いていた。