玲音の携帯NAVI入力が高速化している。
ありすは玲音が以前の様に、内向きな感じに戻っている事を懸念している。
やはり玲音はワイヤードばかりだと知るや麗華が「ネットパルなんて」という台詞を言うが、これも当時にも無かった言葉だ。昔の古式ゆかしい「文通友だち」の事を「ペンパル」と言ったものだが、流石にそれの流用造語は厳しいものがあった。
麗華の見方はありすにも「案外古いところある」とジャッジされてしまう。
ワイヤードでどういう人と知り合いになっているかを問われた玲音は、
「ひ・み・つ」
さて4人は玲音に色々着せ替えをして愉しんでいる様子。ここがありすの家だとは明示していないが、玲音がありすの家に入ったという事が今後の伏線になっている。
そして4人は渋谷へ。玲音には友だちがいるのだ。淡い色だがリップも塗られ、愉しそうな玲音。
ふと麗華が、変なポーズをしている子どもを見つける。
(玲音の帽子とバッグは自前らしい)
玲音は朝に見たのと同じだと気づく。
更に横断歩道を渡っている時、大人の隙間から見える姉弟らしき小学生が、空に向かって腕を上げ始めているのを――見て――
ここのカットバック、本来なら進行方向と逆になっている。
シナリオ本注釈では「イマジナリーラインを崩している」という書き方をしていたが、見返してみるとそう単純ではない。
朝の小学生を見つける時といい、カットバックのルーティンが崩れるのは必ずや「玲音の見た目」のカットなのだ。
小学生達が仰ぐ、その上空へと視線をやると――、
曇天の雲間が割れていき――
それは玲音の幻視ではなく、ありすも目視する。
ちょっとヘボい合成になってしまったが、縦パンを繋ぐとこういう構図。
天女か、観音菩薩か――、伏せ目の女神は、玲音――
これも今のテレビでは放送出来まい。
子ども達は何か操縦されてそういう行為をしているのではない、という事がこのカットで判る。判ってしまう。
こんな斜め後方から表情が判るなんていうアニメの描写、他に見た経験が未だにない。
玲音は察知する。これは子ども達に流行っている『遊び』なのだ。
そうやって「喚起」(エヴォケーション)する事で、ワイヤードの女神が見られるのだという「遊び」。
「神は信仰される事で神となる」
これがこの物語に於ける神の規定となる。
果たして女神の如きヴィジョンがリアル・ワールドの空に垣間見えた。起こった表層だけを見ると、ポルトガルのファティマの聖母の顕現にも似ているが、勿論ここでの事象に本来的な宗教性はない。
一人の子どもの信仰では、そうは簡単に「奇跡」など起こらない。だが、口伝え(ワイヤード伝え)にそれを真似る子どもが加速度的に増えていったなら――
ナイツ=Knightsの説明は次話で詳しく触れるが、ネットのアノニマス達の集合知、はてはハクティヴィズムがリアル・ワールドの真実すらも変える(時に歪める)かもしれない――という幻想をここでは描いているのだが、如何せん今話でそれ以上の描写説明は入れる余地が無かった。
岩倉家では、一切後ろに向かず美穂が居間にいる美香に語りかけている。
最近美香は帰りが早いが、逆に玲音が遅くなっているというぼやき。
美香は力なくソファに座ってテレビに向いている――
「(大学)推薦、とれそうなの?」という質問に――
美香は答えられない。
今話は、喉がつかえた様な吐息しか発していない。
まだデビュウしたばかりだった川澄綾子さんのナチュラルな演技は、岸田さんのデザインと相まって、美香を極めて魅力的なキャラクターにしていたが、前話でゲシュタルト崩壊を来してしまった。以降は「壊れた」美香しか描けなくなってしまい、アフレコ時に私はひどく罪悪感に苛まれる事になる。
と、ドアの音がして美穂「あ、帰ってきたみたい」。