アヴァンはヴォイス・オーヴァーなし。SEは更に混沌化。
このシリーズでは初めて前話からの直結で始まる。
「たった一つの真実、神さま」
「そう、僕だよ、玲音」
完全に舞台上での対話劇。物語の本質に触れる内容なので、場面分割や何かの動きと平行させるなどという装飾を一切せずに対話のみで描くという意図だった。
ここまで焦らしたのだから充分だ。
しかし、では普通にやりとりして会話で情報を開示するというのも面白くない。
ここでは「サイコドラマ」を援用し、玲音と英利は互いの立場を入れ替えて、相手の考えを読み合う芝居とした。
こういう描写は、「ヘザーズ/ベロニカの熱い日」(1988/脚本:ダニエル・ウォーターズ 監督:マイケル:レーマンのコンビは、その後「ハドソン・ホーク」で失墜してしまう)という大好きな映画の中にあって、この時は「面白い話法だな」という認識だったのだが、その後筒井康隆の小説「夢の木坂分岐点」で、こういう役割交代は精神療法の技法の一つなのだと知って、心理療法をあれこれと調べた。
サイコドラマは精神科医ヤコブ・モレノとその妻の心理療法士が考案したもので、本来はグループでロール・プレイを行い、観客もいる中で演じる事で、自分を内観する視点を見出させるもの。このトレーニング課程にて、2人が互いに役割を入れ替わる役割交替法というものがあって、それに則った作劇をしている。
本作のコンテは佐藤卓哉氏で、最初に上がってきたコンテは台詞が全部ノーマルに(玲音が玲音の台詞)変わっていたのだが、中村隆太郎監督が戻した。
ただ、佐藤卓哉氏のコンテは実に味わいのあるもので、我々(メイン・スタッフ)は皆魅了された。後に「NieA_7」から安倍吉俊君と組む事になる。
この初めての対面で、改めてワイヤードは「死者の世界」と重ねられた上で、英利は既に肉体が死んでいる事が強調される。つまり前話のドキュメンタリを、玲音は視聴者と同じく受容していた。
ではこの神を騙る英利は――?
玲音は英利の思考を読んで、英利が第7世代プロトコルに自身の思考、履歴、記録、情緒をデータ化して高いフェイズに送り込んでいたと悟る。
ワイヤードで一般のユーザには匿名=アノニマスな存在として、彼は永遠に生き続けられる。だが、英利はそれだけでは不足だった。
自分は実質的には神なのだから、そう在るべき。神が神足るには、崇める者が必要――。
玲音はナイツを作ったのは英利だと悟る。
「君にはもう肉体なんか必要ないんだよ」
そう言って姿を消す英利。