ここから英利政美の長いモノローグが語られる。
英利の手法、手段はともかくも、彼の思想の根幹は「ある見方では正論」なもので、人という衰退した種族が今後進化をするなら、ワイヤードとシームレスで情報を入出し、最終的には欠陥の多い肉体から解き放たれるべきだというもの。
その方が圧倒的に「楽」にはなるだろう。
けれど、それで失うものは人としての本質なのだ。
英利の遺体回収現場シーンは、9話のバンクなのだがこちらの方が彩度が高く鮮明(つまりオリジナル版)。
何故彼の死に下山事件を重ねたか。
それは私が一番好きな物語の話法が、1970年代のポリティカル・フィクションだからだ。
今は滅多に使われないジャンル名だが、ここで言うポリティカルは政治に関する題材には限らない。犯罪事件やナチス戦犯を巡るスリラーなど、社会的な題材で、かつ個人が強大な力を持つ(主には)体制に反逆する形の物語であり、概ねはスリラーとなる。
ポリティカル・フィクションには、物語そのものに関連するもの、周辺的に関わるものなどのディテイルが膨大に描かれ、一種の情報小説という読み方が出来る。
トマス・ピンチョンの著作もそういうスタイルなのだが、ピンチョンをポリティカル・フィクションと呼ぶ人は流石にいない(単純に文学)。
映画ではコンスタンティン・コスタ=ガブラスやアラン・J・パクラといった監督が優れた作品を撮った。
日本映画では、山本薩夫監督の多くの映画、岡本喜八監督の「ブルー・クリスマス」が代表作と言えよう。
「lain」シリーズを考える時、単に虚構の中の一少女の周辺世界で閉じたものにせず、ネットそのものをモチーフにして、そこに極めて特異な能力というと語弊があるが、そういうヒロインが関わるストーリーにしようと考えていた。
だから、ネットを巡る様々な事象――、ゲームや秘密、個人情報の暴露などをメタファライズして物語に織り込んでいった。
プロトコル7を巡る物語に限り、「lain」はポリティカル・フィクションの側面を持っている。
「下山事件」は今尚真相が判っていないのだが、松本清張を筆頭とする謀略論は、終戦直後、占領下の日本という特異な時期なら有り得た事だった。
下山国鉄総裁が死んだ事により、国鉄が大量の職員解雇を実施出来たのは紛れもない事実だった。
英利もまた、自ら死ぬ事によって、プロトコル7を解き放った。
橘総研はアップデートしていくだろうが、既に空いてしまったワイヤードとリアル・ワールドの領域を埋める事は出来ない。
さて、ここで初夏のワンピースの装いの玲音が現れる。
全て巧くいった。全て思い通りになった――。
そういう解放感を味わっている様に見える。
シナリオでは「玲音」なのだが、コンテからひらがな「れいん」と記され、以降はそう呼ばれる新たな玲音の姿。今話の冒頭のモノローグもこの「れいん」だった。
地下駐車場。
こういうシチュエーションもまた、ポリティカル・スリラーには欠かせない場面である。
停車している車の中に灯る赤い光。
だがそれはレーザー光ではなく、カールが点けたライターの灯。
密閉した車中で煙草を吸われたらたまらないだろうと、今尚喫煙者の私でも思う。
MIBの2人は、クライアントに不信を抱いている。
ナイツ狩りをした彼らは相応な逃走先が確保されていて然るべきだったが――
やってきた黒塗りの車のヘッドライトが2人を照らす。
この一連の場面の影と光の描写が極めてリアルだ。
車から降りた男は、金が入っているであろうアタッシェ・ケースを床に置いた。
これで一切関係無くなるという事だ。
男は黒沢、なのだが、声は前回登場時とは違う俳優(鈴木英一郎氏)が演じられた(かなり近い感じに演じているので違和感はない)。
何処へ逃げればいいんだと問うと、黒沢はにべもなく
「電波も衛星もカバーしていないところ」だとしか言わない。
現代の文明社会でそんな場所は原則的に無くなっている(のだが、衛星情報を制限されているエリアはある)。
黒沢が去ってしまうと、いきなり林が悶絶しのたうち回る。
引きのワンカットでのアニメーションが凄惨さを際立たせる。
非接触なのに毒物でも盛られたのかと、最初は茫然と見ていたカールだが、どうやら原因は林が装着しているMRゴーグルが見せている何かだと悟り――
データ・リンクしてカールのゴーグルのLEDが点灯。林が見ているものを共有する。
すると、何かおぞましげな何かが地下駐車場をのたくたと徘徊しており――、
苦しむ林の瞳の奥に――、
玲音が――
絶命する林。
茫然と立ち尽くすカールだが、彼のヴィジョンにもおぞましい何かが迫り――
ほんの一瞬見える、林の顔――
カールも絶望的な悲鳴を上げ――、恐らく絶命しただろう。
絶命したばかりの林のカットでも判る通り、彼らが見たのは死者達で、彼らが手にかけてきた者達の亡霊だった。
死者の怨念が襲った――というよりは、彼らの中に残っていた人としての良心が、彼らを苛んだのだろう。
さてこの「駐車場を徘徊するおぞましい何か」が、アニメーションではなく実写であるのも、緊急対応策だった。
前話では近い表現がアニメーションで描かれていたのだから、ここでもその発展系で描いてもおかしくないのだが、上田Pと中原順志氏(今話にはもう3D作成する様な場面はなく、サブタイトルくらいだったからだとは言え無茶な人選)が2人で深夜に撮影したもの。中原氏が毛布を被ってヨロヨロ歩いている。
当初の構想では、MIBは背景的な存在でしかなかったのだが、岸田さんのデザインを見て私の中で在り様が全く変わった事は以前に記した。
加えて、中田譲治さん、山崎たくみさんという極めて個性の強い声を得られたのも大きかった。
当初の構想にはなくとも、演繹的に成り立っていった要素をシナリオで、ギリギリのタイミングではあったが拾え、こういう場面が生まれた。
林の瞳の中に玲音を見せていいのかどうか、私はそうシナリオに書いておきながら確信が持てないでおり、隆太郎さんに判断を委ねた。
結果描かれたが、これを見ても視聴者が「玲音が悪意をもって2人を襲った」と誤読はされないだろうと安堵した。
だが、玲音の中に暴力性を持ったペルソナがあるのも事実だと、次のACT3で明らかになる。劇中に一切登場はさせていない、ヴァイオレントな玲音――