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serial experiments lain 20th Anniversary Blog

Layer:13 Ego - lain is still there in wired.

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 オープニングに隆太郎さんが描いた歩道橋の場面は、最終話でこういう形で私が結着をつけた。
 改めて言葉にしても何だが、玲音とれいんの対話でもあった様に、ワイヤードは単に繋げる場であって、それは歩道橋も同じなのだ。


lain」シリーズは、PlayStation版ゲーム「lain」と対になる作品であり、放送中にゲームは発売された。
 ゲームのムービーのエンディングを踏襲する事は止めたものの、最終的な着地点、視聴者・ユーザに伝えられるものを同一な質感に出来ないかと私は模索した。
 ゲームのネタバレになって恐縮だが、20年後という事で御寛恕願いたい。
 ある程度の規定フラグを立て、ムービーを全て再生出来たユーザは、最初に登録したユーザ名を玲音の合成声で「●●●、いつまでも一緒だよ」というメッセージを聞く事が出来る。
 まだ合成音声技術が未成熟な時期の作なので、名前を呼ぶイントネーションは極めて不自然で、本来の意図である「ボーナス」感、ゲームのキャラクターとパーソナルな関係で結ばれたという歓びよりも、恐怖感を抱かせるケースが多かったという事は後になって知る。
 
 テレビ・アニメで、キャラクターが視聴者に、直接話法で語りかけ、テレビ放送というメディアを超えた体験を(擬似的に)提供するにはどうしたらいいか――。

 これはオリジナルのキャラクター・デザイナーである安倍吉俊君自身が原画を描くしかないのでは。
 まあこの発想が全く自分でも論理的ではないのは自覚していたのだが、私は隆太郎さんと安部プロデューサーに頼み込んだ。
 多分隆太郎さんには、あまり好ましいアプローチではなかったかもしれないが、ゲームとのコモンな関係性を訴えて納得して貰った。

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 安倍君は当然ながらアニメーション、原画用紙に描く様なそれは描いた事が無い。
 しかし私が「いけるんでは」と思った根拠は、放送と平行してAX(というソニーマガジンズのアニメ雑誌があった)の連載(これ自体についてはまた稿を改める)の中で、玲音が頭を抱えるという同ポジの連続画を安部君が描いたのを見ていたからだった。

 安倍君は戸惑いながらも、まだプロの絵描きとして駆け出しだったというのもあって、無茶な要望を(半ば否応無く)聞き入れ、トライアングル・スタッフに2日ほど通ってエピローグの原画を描く事になる。
 実は20年間、安倍君がトラスタに詰めたのは一週間ぐらいだと思い込んでいたのだが、今日会ったので確認したら「いや、1日か2日くらい」だと答えられた。記憶なんて本当に当てにならない。

「人はみんな繋がっている。そこにあたしはいる。だから、ずっと一緒にいるんだよ」

 アナログの放送波が途切れた様に像が圧縮して――

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 ここで全編が終わる。
 シナリオではもう1頁以上、情景のエピローグがあるのだが、既に同じ様な場面は前に移動してコンテに描かれているので、最早不要だった。