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serial experiments lain 20th Anniversary Blog

放送後

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 放送開始時は誰も見てないのではと思いながら、次第にスタッフは検索で「lain」に言及しているサイトや掲示板を読んで、ちゃんと見てくれている人がいる――と、モティヴェーションを上げた事は前に記した。
 シナリオはもう視聴者の反応を受けてどうこう出来る余地は無かったが、画面の作り込みについては、間違いなく視聴者に「最高の映像を見せよう」という目的意識となっていた。

 

 最終回が放送されると、私がコンタクトをとっていたファンの人達から「玲音がウチに来ました」というようなメールを貰って、安堵したと共に、玲音がもう我々の手から離れたんだな、という寂しさを感じた事は確か当時サイトに記したと思う。

 まだシナリオ本やヴィジュアル・エクスペリメンツ(ムック)の作業があって、完全に終わったという実感が無かったのだが、やはり毎週放送していたものが終わったのだから熱は徐々に冷めていく。

 当時のネット・ユーザの一部で人気を集めていた、とは何となく判っているものの、それが具体的な数値となるものもなく、ただぼんやりと気に入ってくれた人が予想よりも多かった、という感覚でいた。

 

 全く記録もないので朧気な事しか書けないのだが、多分放送された年の内に、アニメの批評家の方だったと思うのだが、「lain」のトーク・イヴェントを新宿のロフト・プラスワンでやりたいという申し出があった。(諸々に記憶違いあり。下記の追記参照されたい)アニメのトーク・ライヴというのは今でこそ当たり前になっているが、当時サブカル界隈でもアニメのトークは珍しかった。
 というより、後で聞いたらロフト・プラスワンでアニメ関係のトーク・イヴェントはそれが最初だったらしい(特撮関係だとよくやっていたので不思議だが)
 人が集まるんかいなと思いつつ、メイン・スタッフ(残念ながら岸田隆宏さんは参加せず)は集合した。清水香里さんといったキャストは到底呼べなかった(それを考えても『クラブサイベリア』は凄かったのだが)
 驚く程に溢れんばかりの人が集まってくれた。事前予約など一切なく、告知も多分ウェブだけだったのだが、当時のハコの動員記録まで作ったという。
 イヴェントは夜なので、リアルな少年少女は当然いない。20~30代男性が圧倒的だったと思う。
 中村隆太郎監督が、こういうイヴェントに登壇したのはこれが最初で最後だったのではないか。

 何を話したのかも全く覚えていないが、今も残っていて驚いたlainのパロディ・ショート・ショート掲載サイト「おーぷん・ざ・ねくすと!」を見た事がある人、という観客への質問で、半分近くの人が手を上げ、しかも作者の人も来ていた。思えばあれは大規模な字義通りの「オフ会」だった。
 来ようと思った人も、他に誰が来るのかという興味で来ていたのだと思う。
 

 翌年春、いきなり飛び込んできたのが「文化庁メディア芸術祭」の優秀賞に選ばれたという椿事。
 へぇ、一体誰が選んでくれたのかと思っていたが、後で聞いたら、選考委員のお一人であったモンキー・パンチ先生が強く推薦して戴いたと知り大変恐縮した。
 授賞式が初台のオペラシティのホールで行われ、まあ授賞式自体は受賞者の中村隆太郎監督と上田Pだけが居ればいいのだが、何となくメイン・スタッフが集まって、この時は岸田さんも来られていた。
 隆太郎さんにとってもこれは栄誉な事だと思っていた筈だ。
 慎ましやかに受賞記念としてリリースされたのがbôaの「Tall Snake EP」(JJのCyberia Mixを含むDuvet三種とアルバム未収録曲を含むミニアルバム)。ジャケットは岸田さんが描かれた。


lain」のその後は、ここまでが全て。後は2010年のBD-Box発売記念イヴェントまで何もなかった。

 だから、20周年だと言われても現在の版元であるNBCユニバーサルが何かをする筈もなく、ただの「懐アニ」の1本として少数の人に記憶されるだけ――だと思っていた。
 ファンの人達が自らイヴェントを企画・開催して、夢の様な一夜が実現された事は「serial experiments lain」というアニメが今、最も誇れる事なのだ、と思っている。

 

追記

 角銅博之さんからロフト・イヴェント時の写真を送って戴いた。

 ステージから撮った写真はちょっとお見せ出来ないが、隆太郎さんのいい笑顔。
 角銅さんありがとうございます。

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追記2】

 えあドッターさんが当時の記録を発掘してくれた。
 年内ではなく翌年2月。岸田さんも来ていた。昼の部だった。
  う~~~~ん……。記憶って……。