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serial experiments lain 20th Anniversary Blog

Layer:01 Weird - ケヒャッ!

 

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 玲音の「父」役・康雄をどういう存在として描くか、その結着のさせ方は、大林隆介さん(当時:隆之介)の演技を聞いてから決めた――と私は記憶しているのだが、1話のアフレコ後に終盤のシナリオを書いている事など有り得るのか、と考えると錯覚なのかもしれない。
 ともかくも、大林さんの演技には強い感動を覚えた。

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 帰宅してからすぐさま、PCパーツ(多分この頃だとEISAバスの拡張カード)を増設する作業を始める父の部屋に、玲音はくまの着ぐるみパジャマを着て様子を伺う。

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 このくまパジャマの設定が描かれてきた時(シナリオ打ちには岸田さんは来なかった)、私個人の動揺についてはシナリオ本注釈に書いたのだが、何より上田Pが「こんな媚びた服を玲音は着ねえ」とか言い出さないかハラハラした。
 ここで中村隆太郎監督は、「いやこれは冗談で描かれたものじゃないんだ」と、上田Pと私に説明をする。
 玲音は自分の家族にもおずおずとしかものを言えない(夕餉の母親への言い方もそうだった)が、まして願い事である「新しいNAVI」(メール読み上げもたどたどしかった子どもNAVIの代替)をねだるには、何らかの「武装」が必要だった。それがあの全身くまパジャマで、言わば彼女のシールドなのだ、と。
 訥々とした言い方ではあったが、中村隆太郎監督の理論武装は完璧であり、上田Pも(勿論私も)納得させられてしまった。

 以来、このくまパジャマ衣装は「lain」の一つのシンボルにまでなる。
 でもなんで「くま」だったのかは未だに判らない。
 
 渋谷にギャルが闊歩していた末期頃か、着ぐるみパジャマを外着としている若い女性をかつて見たが、放映当時はドン.キホーテは府中にしかなかったし、彼女達も「lain」を見ていた訳ではないだろう。

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 ところで康雄のマルチCRTディスプレイ要塞は未だに見る人にインパクトを与える様だ。しかし2000年代までもCRTは業務用としては普通に使われ続けた。マスターモニタが液晶になったのは近年だと言ってもよいくらいだ。

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 Copland OSのインターフェイスも全て中原順志氏の作成。アイコンなどはNeXT Stepのものが使われていた筈。ただし作成していた中原氏のマシンはWindowsNTのWorkStationだった。
 おのおののデザイン自体もそうだが、中原君の創意は何よりその「気持ちの良いモーション」にあった。手書きのセル・アニメ(24P)の中でのぬるぬるした動きは、機械的な動作ではなく生命感を感じさせるものだった。

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 康雄は玲音に、Wiredが如何に良いかを淡々と説く。しかし玲音自身は既にもうWiredに関心を持っている。しかし、なかなかそれを声に出して言えない。
 やっと言っても、康雄は聞いていなかった様だ。
 Wiredに接続し、見慣れたアヴァター群の中で何かを見てアルカイックな笑みを浮かべる――、とシナリオには書いてあるのだが、画面ではかなり衝動的な笑い方をする。
 そこまではコンテも見ていたし、アフレコ前にラッシュも見ていた。

 そこで大林さんが演じた時の発声を文字化すると、「ケヒャッ!」だとネットでは流通していたとは最近まで知らなかった。
 先日の同時視聴会では、プチ「バルス!」的に「ケヒャッ!」が多く呟かれた。

 実際にはその後も「うひゃひゃひゃ」といった感じの笑い声が続く。
 アフレコ現場でこれを最初に聞いた時、もう私はひっくり返りそうだった。いや、実際にひっくり返った。
 後藤隊長では絶対聞かれない演技だった。


 しかし――、その前の玲音に対するあのふくよかなバリトンの声での台詞は、岩倉康雄という人物が単純な人間ではないと確信させるものだった。