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serial experiments lain 20th Anniversary Blog

クラブサイベリア Layer_2 in Osaka

 

 11月26日、プレイステーション用ソフト「serial experiments lain」が発売20周年を迎えた。
 12月1日、再びシオドア()氏が中心になって呼び掛け、シオドア氏の地元大阪で、ゲーム版「lain」をフィーチュアしたファン・イヴェント「クラブサイベリア Layer_2」が開催された。
 夏のクラブサイベリアは200人規模のクラブで開催されたが、今回は100人規模の小さなライヴ・スペースになる。
 
 シオドア氏を始めとしたサイベリア開催陣は、夏のイヴェントで20年分の全てのエネルギーを注ぎ込んで、直後はもう二度とやらないとまで一旦は言っていたのだが、ややして「大阪でもやってみようかな」という様なツィートがあったので、「交通費持ちで私も行きますよ」とは声を掛けてあった。

 暫くして大阪イヴェントの陣容が、WASEI "JJ" CHIKADA(近田和生氏/JJ役声優で現役DJ)と共同開催という形で決定された。
 私が参加しようと思った理由はシンプルで、夏のサイベリア開催の為に何度も東京へ遠征しては関東のファンとミーティングを重ね、入念に企画を練り上げてくれた関西ファンへ、御礼をすべきだろうと思ったからだった。

 11月中頃まで、私は仕事に忙殺されており、どう行こうかも決めていなかったのだが、その時点で安い航空券も取れなそうだった。
 迷ったのだが、1人車で行く事にした。
 1人で壇上に上がっても手持ち無沙汰だろうと、ベースを持っていく事にしたからだ。
 小さいアンプも必要だった。

 


 Yahooカーナビで見ると6時間程度で行けるという。しかしこれは当然ながら、休憩時間を含まない。5時到着予定で出発したが、着いたのは6時を少し回った頃になる。

 ずっと若い頃は京都へは幾度か車で行っているのだが、ここ20年はロング・ドライブなどしていなかった。
 2012年に開通したという新東名高速新名神高速という道をカーナビが選んだので素直にそれを走った。140km通行を想定した道路設計でカーブが少なく、トンネルが多い。海は殆ど見えず、ただひたすら山の中を走る様なルートで、当然ながらサービス・エリアも東名で馴染みのあるそれとは名前が同じなだけで全く異なる施設。
 今の私の車は親から相続した小型車で、120km/h以上は踏みたくない足回りとエンジン。また風にも弱い。という事でスローペースで行ったのも遅刻に繋がってしまった。
 ただこの車は12インチのキャビネットも積めるくらい積載量はある。今回はPhil Jones Bassの部屋弾き用アンプにしたが。


 今回は日本橋にあるギルドという場所。普段はアニソンや地下アイドル系の催しが開催されている様だ。
 大阪は19年前、安倍君と上田P、「青の6号」の村田蓮爾さんらと合同でイヴェントに出た以来。つまり私の人生で2回の大阪訪問はどちらも「lain」絡みだという事に。

 3時前には開場し、オフ会的に始まっていた。

 


 夏のサイベリア、コミケ後のTEXHNOLYZEオフ会同様、ラガードーさんが記事を書いている。

lagado.seesaa.net

 今回は「ゲーム版推し」傾向な企画と位置づけられており、実機プレイ体験などは夏よりも多くの人が触った様だ。
 ファンアートも多く飾られていたのは夏と同じく。

 


 本来なら私の登壇、最後にJJのDJプレイという進行だったのだが、私の到着が遅れた為にJJに先に出演して戴いて恐縮した。しかしじっくりと裏で愉しめたし、長時間運転の疲労も少し軽減出来たので有り難かった。

 

 

 ゲームには全く関係無いが、アニメの方では大きなインスパイア元になったJaco Pastoriusについては、このエントリでも述べているのだが、どういう奏法をしていたのかを、実際に観て貰おうというのが、ベースを持ち出した動機だった。
 フレットレス・ベースをライヴで使ったのは過去2回くらいしかない。今回はジャコ風の音を出す事に特化するので、ペダルボードもコンプレッサー+コーラスのみ(あとチューナーとプリアンプ)。


 ジャコの奏法全てを私が弾ける筈もないのだが、判り易いハーモニクス導入奏法を簡単に説明し、ナチュラル・ハーモニクスを使ったソロ曲「Amerika」と、人工ハーモニクスを使った「Contenuum」の2曲を披露した。

 
 あああと「Duvet」も弾けば良かったなぁと後で後悔。

 トークはシオドア氏とのやりとりで、充分にやれたかなと思うが、質疑応答が出来なかった。

 さて、本題であるゲーム版についてだが、4Gamer記事にもある様にオフィシャルが再リリースする事は「無い」と既に断言されている。
 なので新たに、もしくは再びプレイしたいと思うなら、ファン自ら行動を起こす以外には無い。言うまでも無くこれは大変な困難の道で、二の足を踏む人は多いだろう。
 しかし夏・冬サイベリアに寄せられたファンアート、携帯NAVIや不揮発性メモリ実機を作り出す人など、クリエイティヴな人がファンの中に多いのは既に明らかで、何らかの道が開けるのではないか、とは無責任ながら思っている。

 
 最後にJJ Mix版「遠い叫び」「Duvet」で締め……られず、シオドア氏が長い後説をして、大阪の陣は終わった。

 


 撤収している間にサインをしたり、

 ドールを戴いたり。


 誘われたのだが二次会を固辞して、私はすぐ近くの新しいホテル(Google Mapで見つけて予約)にチェック・イン。
 ホテルがサービスで出していたミニ・サイズの担々麺を夕食にして、早々に眠った。

 このホテルは中国か韓国か、ともかく外資らしく、泊まり客は殆どが外国人。
 翌朝、朝食を食べようとカフェへ降りると、話しかけられ、最初はてっきり外国人かと思ってしまったが、実は同宿だったPlayTrack44さん(不揮発性メモリを作った)だった。
 言わばリアタイ勢で、放映時の事などを話しながらゆっくり朝食を食べた。


 もう帰るだけなのだが、背中が痛みだしていたので、ドラッグストアで湿布を買おうと、通天閣辺りまで歩いた。この辺りもすっかり外国人ばかりの風景。

 

 帰りのルートも同じだったのだが、休憩を多めにしたのと、日曜の夕方に掛けてだとやはり渋滞が起こって、出発から帰宅まで9時間も掛かってしまった。


serial experiments lain」の20周年の年である2018年、ファンの人と直接触れあえる機会が2回もあったのは幸せな事だった。

 それにしてもファン層が若い。リアル・イヴェントに来るという層だからかもしれないが、後になって知った人が多そうだ。
 トークの時に「どうして知ったのか、今何歳なのかなどを問い詰めたい」と漏らしたのだが、それを実際に調べようと思い立ってこういうアンケートを、深い思慮なく公開した。

docs.google.com


 未回答の方は是非。
 このアンケートについてはエントリを改める。