welcome back to wired

serial experiments lain 20th Anniversary Blog

ジャコのボディ・ペインティング

 

f:id:yamaki_nyx:20180625003934j:plain

 ジャコ・パストリアスが図抜けた才能あるベーシストとして知られ始めたのが1970年代終盤。Weather Reportに加入し、スタジオ・アルバム4~5枚の録音と、数多くのツアーで世界を席巻して、脱退するまでが1981年。
 自分のビッグバンドを立ち上げ、日本を含めたツアーを行ったのが1982年。ここまでがジャコの最高潮期だった。
 僅か5年程度の期間なのだ。

 もの凄いテクニックを持っていたが、全盛期であってもその才能をフルに発揮出来たライヴばかりでもなかった。
 Weather時代、ジャコのソロ・パート(他のメンバーはステージから去る)は、ジョー・ザヴィヌル(バンド・マスター/キーボード)の真似をしてテープレコーダーのオーケストラを流してのプレイ、いきなりアンプをオーヴァー・ドライヴにしてJimi Hendrix "Purple Haze", Sly & The Family Stone "I Want To Take You Higher"の一節ばかり、これらは亡くなる前年までの小規模なギグでも延々にずっと演り続けた。
 ザヴィヌルの当時幼い息子は父親に訊いたという。
「ねぇ、何でジャコは毎晩同じソロしかやらないの?」

 ジャズメンとしては有り得ない。
 だがジャコは酔っ払うと「俺はベースのジミヘンだ!」とよく叫んだらしく、そう言えばジミヘンも歯でギターを弾くとか、ギターに火を点けるといったパフォーマンスは自分でも飽き飽きしており、「もう止めたら」と言われても、観客はこれを観たくて来ていると演り続けたエピソードと重なる。ジミヘンは27歳で亡くなった。ジャコは京王プラザのバーで、ボビー・トーマス(WeatherのPercussion)と呑んでいる最中、突如泣き出して「俺は33歳までしか生きられない」と言ったという。実際にはもうちょっと、長生きをしただけだった。


 自らの作曲したソロ曲も、"Amerika" (これもアレンジ曲だが)と "Continuum" のみ。ほぼナチュラル・ハーモニクスのみで奏でる難曲"A Portrait of Tracy" をライヴで演る事は滅多に(殆ど)なかった。まあ既に離婚していた妻の名を冠した曲は演り難かったのかもしれないが。

※このドイツ公演のライヴのソロ後半が「トレイシーの肖像」


 前のエントリで述べた様に、私はベーシスト目線で先ずジャコを見ていた(聴いていた)のだが、特に日本にはジャコを全肯定し神聖視する雰囲気というのが強くて、私は内心「いやしかし、本当にキレキレだったのはほんの数年じゃないか」という思いもずっと抱いていた。
 1992年に、「ジャコ・パストリアスの肖像」という評伝が日本でも翻訳出版された。ビル・ミルコウスキーというジャーナリストが本人にも幾度も会い、周囲の人々に入念に談話を聞いて書かれた本だが、不調になっていく後年の部分はジャコの奇行や起こしたトラブルを誇張して書いている、と元家族が非難している。
 2016年、Metallicaのベーシスト、ロバート・トゥルヒーヨが製作総指揮(スポンサー)を務めた、ジャコを描くドキュメンタリ映画「Jaco」が製作され、日本語盤は昨年発売になった(どうも日本語字幕盤はもうAmazonでは買えないらしい)。
 2時間の本編に入りきらなかったインタヴュウ集が同じ分程度あって、色々新しい話もあったのだけれど、ミルコウスキー本の表現は寧ろ随分控えめに書かれていたと思える程、亡くなる前の状態は悪かったのは事実だった。インタヴューイー達は皆、ジャコの破滅的な生き方を止められなかったという負い目を感じていたのは間違いない。


 ジャコの亡くなる前の事は日本の「ADRIB」や「Bass Magazine」などにも記事が掲載されていたので、ジャコに関心を持つ音楽ファンの間では相応に知られていた。

 中村隆太郎監督とジャコについて話をした際、特に1984年来日時の、ビニールテープを顔に貼ってステージに上がった、という話をしたのを覚えているので、隆太郎さんはミルコウスキー本は読んでいなかったとは思うが、雑誌などでそうしたエピソードを知っていたのだろう。

 私には、こうしたエピソードは悲しく感じられていた。そうまでしても観客を驚かせ、楽しませようというアティテュードよりも、プレイの方で圧倒して欲しかったのだ。
 だが隆太郎さんにとっては、そんな事をしてステージに立つジャズ・ミュージシャンはかつてなかったし、圧倒的な独自のキャラクター性として受け取られていたと思う。勿論、その観点も正しいのは言うまでもない。

 


 英利政美という人間をキャラクターとして出すと決めたのは初期からの構想だったが、何しろ存在としては「ワイヤードの神」なので、当面は声のみの登場回が続いた。
 しかし終盤に差し掛かり、いよいよキャラクターとして描く段になった。

 岸田隆宏さんにどういう構想を話したのか、私は全く聞いていなかった。
「これが、英利政美」
 キャラ表のコピーを見せられて、心底仰天したのが私だった。

f:id:yamaki_nyx:20180625004609j:plain

 シナリオには「神経質そうな男」としか記しておらず、全面的に監督のセンスに任せられていたのだが、腕や腹にビニールテープをぐるぐる巻き、顔にもウォー・ペイントの様にテープが貼られた、あの姿が描かれていた。

 ジャコに関する話はあくまで余談だったのだが、隆太郎さんの中では英利の造形イメエジに繋がっていたのだ。

 あまりに短い絶頂期、短い人生を駆け抜けたというジャコの生涯も、全く同質ではないにせよ、英利に重ねられていたと思う。


 ところで、ジャコがビニテを貼って――というのは記事で読んだだけで、どういう風に貼っていたかが判る写真というものを、実際に私は見た事がなかった。当然隆太郎さんも、岸田さんもそうだと思う。

 探しに探して見つけたのがこれらの写真だった。

f:id:yamaki_nyx:20180625004648j:plain

f:id:yamaki_nyx:20180625004656p:plain


 これは昨年発売された、ジャコに最も信頼されたフォトグラファー内山繁氏の「JACO ジャコ・パストリアス写真集」の1枚。

f:id:yamaki_nyx:20180625004710j:plain


 英利の様相とは随分印象が違うと思う。
 英利のデザインは完全にイマジネーションから生まれたのだった。