welcome back to wired

serial experiments lain 20th Anniversary Blog

「玲音って切ないよね」


serial experiments lain」シリーズの監督を探している時期、トライアングル・スタッフの浅利社長と、当時はフィールド・ワイに属していた鈴木誠二氏の推薦で中村隆太郎さんが監督に迎えられる。劇場作品は既に何本も手掛けていたが、テレビ・シリーズは初だというので驚いた。
 振り返ると上田Pにとっても賭けだったとは思うのだが、1話のコンテを見て完璧に信頼を勝ち取った事は以前に記した。

 ただ、ホン打ち(脚本打ち合わせ)では発言が少なく、実際のところこの監督はこのシリーズをどう思っているのだろう、と考えていた。
 シナリオ的にはもうちょっと後だった気もするのだが、この辺りの時期、トライアングル・スタッフの忘年会が開催された。50人以上はいただろうか、荻窪駅南側の大きな居酒屋に多くの関係者が集まった。
 私は酒を呑めないのでこういう会合は避ける事が多いのだが、中村監督と話せるかなと思い、出向いた。lainのスタッフは極く少数の参加だった気がする。隅っこで何となく過ごしていた。
 一次会が終わって、行く人は二次会へという流れになった時、私は中村監督に「ちょっと話しませんか」と声を掛けた。それを待っていたかの様に「うん」と即答してくれた。

 隆太郎さんは実際には酒をもっと飲みたかった筈なのだが、この時は私と二人で手近の喫茶店に入る事を選んでくれた。
 既にもう前振りは要らないだろうと、私は直裁に「このシリーズ、どうです?」と訊ねた。中村監督は少ししか酒が入っていなかったけれど、それまでのホン打ちの時の様な固さは無くなっていた。
 答えの言葉自体は覚えていないのだが、中村監督はここまでのシナリオを面白いと思っており、概ね肯定的だった。(大体、褒め言葉は『カッコいい』だったのだが)
 ひとしきり話した後、私が驚く事を中村監督は口にした。
「玲音って切ないよね」

f:id:yamaki_nyx:20180602133349p:plain

 え、と思った。
 いや確かに、共感出来る様には描いてきたが、かわいそう、とか、哀しい、という表現なら「そうですね」とも言えた。
 しかし、「切ない」という、センチメンタルなワードは想定外だったのだ。
 原作であるゲーム版が未だ私の頭上にはあったので、余計にそう感じたのだろう。
 ※隆太郎さんはゲーム版はプレイしていないと思う。
 
 この中村監督の「玲音は切ない」という言葉が、この後のシナリオを書く私に呪縛とも言える強制力を持ち始めるのだが、それに気づくのはずっと後の事だ。

 前半シナリオのどこを面白いと思っているのか知りたいと、互いの趣味性の話を始めた。
 SFは私よりもずっと読み込んでいる人だった。
 中村監督は私より半周りくらい上で(鶴岡さんもそうだった)、音楽の趣味は被る部分もあったが、やはり軸は世代的に若干のズレがあった。
 中村監督は誰よりもケイト・ブッシュが好きだったが、ジャズもロックも実に正統的に聴くべきものをきちんと聴いてきた人で、私は追従し易かった。
 更にボリス・ヴィアンがジャズとしても作家としても好きという点が二人の共通項として見出される。
 
 この後、ジョニ(ジョーニ)・ミッチェルいいよね、からのジャコ・パストリアス――という連想ゲームが起こるのだけど、それはこの第一種接近遭遇時ではなかった筈。

 この時初めて中村監督のはにかむ様な笑顔を見て、私は親しみを込めて「隆太郎さん」と呼ぶ様になった。
 いわゆる「呑みにケーション」というものを私は忌み嫌ってきたのだが、アルコールという燃料が無いとエンジンが掛からず喋らない様な演出家とは、こういう付き合い方をするしかない、と私は悟った。
 この喫茶店での小一時間の話が、互いに信頼関係を築けると確信し合った時になる。

 ゲーム版を踏襲した、予定されたエンディングについての話を切り出したのはしかし、もっとずっと後になってからの事だった。

 

 

エクストリーム・アニメ

 

f:id:yamaki_nyx:20180602133930p:plain


 中村隆太郎監督参加以前の構想と参加後の全体構想とでは、結末以外は大きく変わってはいない。しかしナラティヴの面では180度近く変わった事は間違いない。

 シリーズに着手し始めた1997年はドラスティックな変化がある時期だった。神戸連続児童殺傷事件が起こり、テレビ番組の表現は著しく制限を受ける事になった。
 佐伯日菜子さん主演版の「エコエコアザラク」は、私が構成を担当した第一クール(というか、そもそも第二クールがあるなんて聞かされてもいなかった)は影響を受けなかったが、血の表現が多かった第二クールは途中でオンエアを打ち切る。
 アニメであっても、平野俊貴監督の「吸血姫 美夕」は妖魔ですら躯を切られる様な描写は、コンテ段階で削除要請が代理店から来て、監督が切れているのを間近で見ていた(私担当話は問題なかった)

 私はホラー作家ではあるが、「死霊の罠II ヒデキ」を書いて以来、もうスプラッターはやりたいと全く思わなくなったので、残酷描写規制の影響は比較的には軽微だった。

 ちょうどその頃に「serial experiments lain」は作られていた。
 ゲーム版にはかなりゴア(残酷)描写があったが、それは私の意向ではなかった。しかしそのテレビ・シリーズで、そうしたショッキングな描写が全く無い作劇は考えられなかった。しかし、血や直接的な暴力描写へ特に厳しいチェックがあった時期だった。
 TV版「lain」は、そういう直接的なものでない、ショッキングな要素を考える必要があった。


 20年前、既に「電波系」という言葉はあったと思う。しかし「毒電波」(これも最近使う人はいないが)はまだなかった。
 統合失調症の人の症例の典型に、「自分の事をひそひそ話している」電波を受信して一層気分を落ち込ませるというものがよく知られている。幻聴、なのだろうが、かくも実際に電波が夥しく飛び交う様になったインターネット時代、そうした妄想はどう変移していくのか、或いは全く変わらないのか――、私はそこに関心を抱いていた。
 ゲーム版「lain」はサイコ・スリラーで、多重人格やサイコパシーなどを扱っていたのだが、私から見るとややオールド・スクールな扱いだった。

 1990年代になって、DSMの規定として多重人格障害という概念が解離性同一性障害という概念になり、ダニエル・キイスの「24人のビリー・ミリガン」は、それまでの多重人格物のフィクション、「シビル」などをモデルにしてきたものとは一線を画した捉え方をすべきものだと認識を改める。
 何故こういう症例を発するのか要因を突き詰めると、到底ライトなアニメやドラマでは表現出来ない虐待を描かねばならない。
 またこの頃、「偽りの記憶」を催眠で「創作」する事象が多く暴かれ、脳研究ではドラスティックな認識のし直しを強いられる時期でもあった。※この辺りはWikpediaの「解離性同一性障害」の項目で手際よくまとめられている。

 多重人格物(そして一つの人格はサイコパス)――という、ありがちなフィクションの時代はもう終わりなのだ。

 そしてこの頃、春日武彦著「ロマンティックな狂気は存在するか」という本を読んだ影響も大きかった。ハンニバル・レクターの様なサイコパスは実在するのかという命題に、実際に精神科医師として対峙してきた著者の答えは明快で「そんなものはいない」であったのだ。狂気の中にロジカルな自己正当性を維持する様なスーパー・クリミナルなど成立し得ないのだ。
 ただその著者の弁を盲信した訳ではなく、その後はまた違う本などでまた認識が改まるのだが、90年代末の私には、これまでアニメ、のみならず日本の映像フィクションでは描かれた事がない様な「狂気」を描かねばならない――という強迫観念があったのは間違いない。

 そして、ネットワーク・コミュニケーションという新たな概念をモデルにして、人が感じる「リアル」が如何に危ういのかを詳らかにしたい――というのが、私の「serial experiments lain」シリーズへの取り組みだった。

 勿論、ヒロインの玲音は共感を抱ける様に描くのだが、シリーズの物語としては、ひたすらに足元の現実が揺らいでいく様な展開を考えていた。
 Layer:05 Distortionは、それを最も具現化したエピソードだった。

 ゴアな描写は全く無いが、実のところ「lain」でやろうとしていたのは、ずっとエクストリームな「狂気」のアプローチであり、当初の構想通りならば遥かにドライな作品になっていたと思う。

 しかし、中村隆太郎監督の参加によって、その質感を大きく変貌させる事になる。それについては次に。

 

 

 

Layer:05 Distortion - Destruct cognition

f:id:yamaki_nyx:20180604210451p:plain


 意識変容状態で気づくと、美香は渋谷交差点の真ん中でへたり込んでいた。
 その美香を見ている、歩道の人々はまるで人間ではない何かに変容していく。
 

f:id:yamaki_nyx:20180604210436p:plain


 魚眼レンズ接写はこのシリーズで度々導入されるカットで、リアルに像を歪ませている(Distortion)。

 

f:id:yamaki_nyx:20180604210428p:plain


 キャメラが引くと、ナイツの紋章が地面に染みのように描かれている。シナリオではプリント基板の様なテクスチュアと書いていた。
 美香の人格破壊はナイツの関与したものも契機の一つではあったのだが、本質的には彼女自身が招いたものなので、ここでナイツの存在を強調する意味は実のところ、あまり無い。

f:id:yamaki_nyx:20180604210619p:plain

 ハッと気づくと、今度はありす達が居たファミレスで、コーヒーを前に座っている自分に気づく。記憶に欠落が生じている事に恐れた美香は、思わずカップを倒して濃い色の液体をテーブルに零してしまう(タロウのコーラと反復している)。

f:id:yamaki_nyx:20180604210612p:plain

 慌ててティッシュで拭おうとすると――、液体がテーブル上の油状の部分をはじき始め、文章が現れる。あのティッシュに書かれていたのと同じ文言。
 更に、さっきまでは多くいた他の客も店員も、誰もいなくなっている。

f:id:yamaki_nyx:20180604210605p:plain


 何が起こっているのかもう判らない。

 

f:id:yamaki_nyx:20180604210559p:plain
 近くのデパートのトイレに逃げ込んだ美香――、
 ここからはひたすら美香の恐怖を視聴者に共有して貰う為のパートであり、表現としては完全にホラーだ。
 他に誰もいなかった筈なのに、個室から気配を感じ、(よせばいいのに)誰かいるのか確かめようと、個室の半開きのドアを――、そっと手を伸ばして――

f:id:yamaki_nyx:20180604210552p:plain


 結局中には誰もいない。しかしそこまでの溜めに溜めたプロセスの演出が、ホラーの本質なのだ、というのが所謂「小中理論」で、詳しくは「 恐怖の作法 -ホラー映画の技術」(河出書房新社)を参照されたい(ステマ)。

 しかしそれで終わりではなく、ドアの内側にくだんの文句がいっぱいに書かれていて、恐怖の頂点に達する。

f:id:yamaki_nyx:20180604210759p:plain

 
 ここで「お話」パートのラスト4つめ。当然の様に康雄が話し手となるが、彼はリアル・ワールドの神の実在を否定し、ワイヤードの神の存在を期待する旨を話している。

f:id:yamaki_nyx:20180604210745p:plain


「かみさま?」

f:id:yamaki_nyx:20180604210752p:plain
 この回は口のアップで、単なる口パクではなく日本語をきっちり喋るアニメーションが何カ所もあって印象的だ。

 そして康雄が本当の「パパ」ではないかもしれない事も玲音は疑念を抱き初めてはいるのだが、それは玲音にとって認めたくない真実だった。

f:id:yamaki_nyx:20180604210738p:plain


 やっと家に帰る事が出来た美香、ドアを閉じた事でやっと自分は安全な領域に帰ってこれたという安堵。しかしそれはほんの束の間。

f:id:yamaki_nyx:20180604210731p:plain

 廊下を過ぎろうとしている――、私服の美香(夕餉の場面の時の服)。

f:id:yamaki_nyx:20180604210926p:plain

 しかし私服の美香は玄関の方を、何か気になるという程でもなく無感情に見つめる。

f:id:yamaki_nyx:20180604210914p:plain

 制服の美香はもうこの異常な混乱に堪えられなくなって――

f:id:yamaki_nyx:20180604210907p:plain

 私服の美香の視線の先には、誰もいない玄関。

f:id:yamaki_nyx:20180604210859p:plain

 玲音も自室から降りてきて(夕餉の時の服)、「どうしたの?」

f:id:yamaki_nyx:20180604210852p:plain

 美香は無感情で「なんでもないよ」と言い、食堂へ行ってしまう。

f:id:yamaki_nyx:20180604211049p:plain

 玲音が玄関を見やると――、「制服の美香」の残留思念の様な、抽象的な何かがそこに浮かんでいたが、やがて消失していく。

f:id:yamaki_nyx:20180604211042p:plain

 これは隆太郎さんのラフがあったに違いない。
lain」では亡霊の様な描写を多々してきたが、この残留思念美香が最も独創的な表現になったと思っている。

f:id:yamaki_nyx:20180604211035p:plain

 玲音は寂しげにそれを見ていたが、自分は何も出来ない。

f:id:yamaki_nyx:20180604211028p:plain


 その後、あの夕餉の場面にループしたのだろうがそこは割愛。

 真っ暗な玲音の部屋は既に拡張されたNAVIの世界になっている。

f:id:yamaki_nyx:20180604211020p:plain


 そして――、NAVIのインテグレーテッド・カメラに向かって玲音は言う。
「今日は、誰?」

 

f:id:yamaki_nyx:20180604211109p:plain

 

 今話後半の描写がどこまでが劇中で現実に起きたのか、どこまでが美香の妄想なのかは、20年経ってはいるものの、私自身にも明確には区別出来ていない。

 

 

Layer:05 Distortion - I want you to love me.

 

 出来事の順番など、シナリオから更に難解に時制を入り組んだものになっている。これは隆太郎さんの修正コンテの指示だと思う。

 

f:id:yamaki_nyx:20180604210040p:plain

 

 美香は苛立つと髪をかき上げる癖がある。これはシナリオにはなく、岸田さんのデザインから導かれた演技。

f:id:yamaki_nyx:20180604210031p:plain
 ふと気づくと、スクランブル交差点の真ん中で車が行き交うのに、玲音が虚ろに立ってぶつぶつと何かを呟いているのに気づく。
 これは「何か」を呟いているので、別に台詞は要らないだろうと「ぶつぶつ」としか書いておらずコンテでもそうなっていたのだが、アフレコの時、鶴岡陽太音響監督に「聞かせないにしても何か言わせないと」と言われ、え、じゃあ何か言わせます? でも台詞無いんですけどと言うと「今書いて」。
 こういう事は後の「TEXHNOLYZE」「神霊狩 -GHOST HOUND-」でもあって、いきなりその場で台詞を書かされるという冷や汗物の体験を幾度かした。(最初から書いておけっていう話なのだが)

 この話数のアフレコ時は終盤に取り掛かっている頃だと思うので、その時点での玲音の無意識な訴えを記した。だが5話時点では、台詞を聞き取れた人も「なんで?」と思っただろう。

 

f:id:yamaki_nyx:20180604210024p:plain
 美香は玲音を「馬鹿じゃないの」と見捨てて去ろうとしてしまう。
 もしかしたらだが、この時の彼女の選択が、後の彼女の運命を決めてしまったのかもしれない。

f:id:yamaki_nyx:20180604210017p:plain

 ふと街頭テレビを見上げると、玲音の顔が画面一杯に映って戦く。
 これはテレビだけではなく、ワイヤード全般にも出現していた。

f:id:yamaki_nyx:20180604210010p:plain


「お話して」2幕目はエスニックな仮面が相手。隆太郎さんの修正コンテだとバリ辺りの神像なのだが、もっとポリネシア系の仮面で作画されている。

f:id:yamaki_nyx:20180604210142p:plain
 ここでは「よげん」が「予言」と「預言」で異なる意味になる事を提示している。

 岸田隆宏さんデザインの玲音は、瞳孔が針穴程にまで小さくなる時があって他に類例を見た事がなく印象的だ。

f:id:yamaki_nyx:20180604210135p:plain


 授業が終わり、モタモタと鞄に道具を入れている玲音(この辺りは安倍君描くところの『ちびちび玲音』のイメエジか)に、ありす達が声を掛けてくる。

f:id:yamaki_nyx:20180604210127p:plain

「もうそんなハッキーな事、出来るの?」というありすの台詞、当然「ハッキー」などという言葉は当時はおろか現代にも使われてはいない。

f:id:yamaki_nyx:20180604210120p:plain
 玲音には全く自覚がないのだが、まるで覗き見ている様な玲音の顔がワイヤードで拡散していたのだった。

f:id:yamaki_nyx:20180604210112p:plain

 渋谷の事故も、交通管制システムへの攻撃によって起こったと、ネット・ニュウズが報じている。20年前に比べて現在は、ニュース類は新聞やテレビよりもネットから得る人が多くなっている。関心のあるニュースならプッシュ型で自動通知させる事で抜かりなく情報は得られるが、個人の関心外域で起こっている出来事には疎くなっているという傾向に懸念を感じないではない。フェイク・ニュースが一時期はびこったが、新聞にせよテレビ報道にせよ、その信頼を失う様な出来事も少なからずあったのも大きい。

 

f:id:yamaki_nyx:20180604210244p:plain


 ありすの端末は玲音のと同型色違いの様だ。「ナイツ」なるハッカー集団らしき存在が送っているSPAMメールは、マルウェア仕込みやフィッシング目的もあったのだろうが、ワイヤードを通じてリアル・ワールドの生きた人間に影響を及ぼす実験の一つであったと思う。

f:id:yamaki_nyx:20180604210236p:plain


 麗華が「ハッカーってつるまないんじゃないの?」と言うが、昔もそれほど孤立はしていなかったと思う。

f:id:yamaki_nyx:20180604210228p:plain


「目的が判らない集団」自体への恐怖は、未だオウム事件の余震が残っていた放映時の視聴者には共感されたと思う。
 

 3人目の「お話」は美穂。

f:id:yamaki_nyx:20180604210222p:plain
 目元が美香と似ていて、二人は実の母子なのかもしれない、と思った。

f:id:yamaki_nyx:20180604210215p:plain


「ワイヤードはリアル・ワールドの上位階層と見るのが適当です」という台詞は、構想初期からネット世界をどう見立てるか考え続けた私が辿り着いた一つの見地だった。
 神秘主義的に言えばアストラル界。そしてその空間にはエーテルが満ちており、一つの出来事が物理世界以外の媒介によって全く異なる場所、人間に影響が及ぶ――

 しかし話題は、「では肉体に残り続ける事など意味があるのか」という極論に転ぶ。
 ここで玲音は自分の両掌を見つめる。

f:id:yamaki_nyx:20180604210357p:plain


 もう、玲音は美穂が自分の実の親ではないと思い始めている。

 

f:id:yamaki_nyx:20180604210336p:plain


 夕餉、両親は黙々と食べる中、美香は玲音に「今日、渋谷にいたでしょ」と訊くのだが、玲音は「え……」。

f:id:yamaki_nyx:20180604210343p:plain


 そう、あそこに居たのが本当に玲音の肉体だったのか――。

f:id:yamaki_nyx:20180604210328p:plain

 美香は水のグラスに映る光の斑紋を見つめる内にトランスに入る。

f:id:yamaki_nyx:20180604210459p:plain


 占い師が水晶球を見つめたりするのも、意図的にオルタード・ステイツ(オブ・コンシャスネス)に入る為のシステムなのだ。かなりリアルに、尺をたっぷりとって演出されている分、視聴者が意識変容に陥る危険性はゼロではない。


 遂に美香の自我にディストーションが掛かり始める。

 

 

Layer:05 Distortion - Deus

f:id:yamaki_nyx:20180604205705p:plain


 5話目にしてついに中村隆太郎監督はコンテを譲るものの、13話の内コンテを担当していないのは5,9, 10話のみ。またその3話分も結構手を入れてはいる。
 5話は「一番怖かった」という人もいた程、特異な回になった。コンテ+演出は村田雅彦さん(ずっと後にACTGの『GR』で再び仕事が出来た)。作監は1話以来の関口雅弘さんで、画面設計クレジットは無い。

f:id:yamaki_nyx:20180604205656p:plain


 シリーズでは毎回冒頭の夜の渋谷イメエジのバンクで、Twitter読み上げ的なヴォイス・オーヴァーを導入しており、それらは散文的で意味がありそうなものと無いものとが混在させている。
 しかし――、今回は意味どころがラスボスが冒頭、かなりの長い台詞で玲音に語りかけてくる。

f:id:yamaki_nyx:20180604205641p:plain


 まだこの時点でワイヤードの神=当初はデウスと呼称していたが、そのデザインは出来ていなかった。
 しかし速水奨さんをキャスティングしているので、監督も私もイメエジは通底していた事になる。

 国や民族によっては物議を醸すやもしれないが、どのみち物語でも「false god」ではある。「ぼくはかみさまだよ」という神はいまい。
 ただ玲音には、千砂からのメッセージが記憶にあった。「ここには神様がいるの」

f:id:yamaki_nyx:20180604205648p:plain


 今話は美香にフォーカスを当てる回なのだが、玲音が自分を取り巻く不穏で抑圧的なものの大きさを、「家族」でありながらノーマルな「姉」が一挙に玲音の置かれてきた状況に投げ込まれたらどうなるだろうか、という観点で物語を考えている。
 視聴者は当初から玲音が、何か普通と違う感じを抱いているが、シリーズのトーン自体が「普通ではない」為に、視聴者がそうしたシチュエーションに「慣れ」て貰っては困るという裏の意図があった。

 言ってしまうとスキゾフレニックな混乱によって壊れていくプロセスを描いている。
 もうこれを書いた時の記憶がないのだが、シナリオ本によるとこの話数を書いている時期、熱を出して体調が悪かったらしい。本当に倒れそうなら書ける訳が無いのだけれど、この時期の私は矢鱈と忙しく、少々の体調の悪さで書くのを止める訳にはいかなかった。

 

f:id:yamaki_nyx:20180604205633p:plain
 下校してから美香は、あまり愛着が無さそうな彼氏の部屋で過ごしていた。
lain」シリーズは「肉体の感覚」という描写をなるべく入れようとしていた。物語自体がコミュニケーションであったり、共有される幻想であったりと抽象的で観念的な分、リアル・ワールドでの人々の描写にそうした要素を強める事でバランスをとろうとしていた様だ。
 康雄と美穂のキスもそうだし、美穂の食事時の音もそうだし、美香の「行為後」を描いているのもそうした動機からだった。
 一方で玲音自身にはそうした描写が終盤になるまで殆ど無い。これはシナリオから更にコンテで強調されており、岩倉家の食卓にて、玲音はいつもいたずらにスプーンでスープをぐるぐるかき回しているだけで、「食べて」いない。

 

f:id:yamaki_nyx:20180604205803p:plain
 美香は彼氏の事ばかりだけではなく、自分を取り巻く全てに苛ついている。真っ直ぐ帰宅せず渋谷に出るが、そこで自動運転車の事故に遭遇する。この事故については後でニュースの説明が入るが、美香は無関心でいる。

f:id:yamaki_nyx:20180604205810p:plain


 さて、玲音が「お話」するパートが4つ挿話として入る。

f:id:yamaki_nyx:20180604205748p:plain
 この場面の玲音の部屋は全て、まだNAVIに手を出す以前のガランとした描写になっており、時制として過去だという事は判る。

f:id:yamaki_nyx:20180604205756p:plain
 ではどれくらいの過去なのか。
 最初に話すのはシナリオでは「ジェニー人形」(ジェニーはタカラトミー登録商標なので、表立ってそうだとは言えないのだが、岸田さんのデザイン、アイ・プリントが紛れもなく――)。
 玲音は無邪気に、殊更に子どもっぽく「お話して?」とせがむ。
 この4つの場面は全く同じシチュエーションで、話し手だけが入れ替わり、玲音の描写は共通しているのだが、これらは演劇的な抽象化をした「過去の玲音」を点描している。
 まだ自意識・自我が幼い時期からのそれなりの期間であり、後半は最近の回想という事になる。
 この最初の人形が述べる認識論は観測者問題についてであり、実のところ極めて本質の問答をしている。
 
 

f:id:yamaki_nyx:20180604205741p:plain
 自動運転の車が普通に行き交うのが現実に有り得るのか、今尚私には全く実感がないのだが、交通量の少ない過疎地などではニーズがあるだろうし、今後は期待されていくだろう。商業車の運転者はどんどん少なくなっている。ただ本稿執筆時点(2018/06)では、実験走行での事故が頻発している。
 
 渋谷の街では、互いに気づいていないが美香と玲音が同じ空間にいる、様に見せている。

f:id:yamaki_nyx:20180604205930p:plain


 ティッシュ配りに押しつけられ、ぼうっとしていると男子児童が背中から声を掛けてくる。
 タロウ、美香に「ナンパして、いいっすか?」突撃。

f:id:yamaki_nyx:20180604205922p:plain
 タロウは歳上女性に憧れるタイプなのだろう。
 憮然と無視して行こうとする美香、タロウが持っている缶コーラが腕に降りかかってしまい、タロウは「やべー」と逃げてしまう。

 

f:id:yamaki_nyx:20180604205914p:plain

 さっきのティッシュで拭こうとすると――、ティッシュにはおぞましい血文字。
 シナリオのイメエジとは違いかなりの達筆で、まるで檄文の様な筆致。

f:id:yamaki_nyx:20180604205858p:plain

 


 そう言えばJJが言った「オルグする」という言葉も、20年前のクラブ・カルチャーでは確かに在った言葉だが、そもそもは全共闘世代の用語でもあった。
 サイベリアで踊る人々の描写は、枚数かけてられない懐事情もあって、ディスコというよりはゴーゴークラブに近いかもしれない。今言っても詮無い事ではあるが、クラブ・シーンはもっとちゃんと描きたかった(隆太郎さんとロケハンに行って)と、「Cyberia Mix」がリリースされてから思ったのだった。JJがプレイする場面もなかったし。


 今話はきちんとした3幕構成ではなくランダムな作話なので、一旦ここで切る。

 

 

Layer:04 Religion - Full Range, Full Motion

 

f:id:yamaki_nyx:20180602133835p:plain

 少年の供述は、実際の時間軸はずっと後の時制のもの。

f:id:yamaki_nyx:20180602133841p:plain

 PHANTOMaはアプリとしてダウンロードされるのだが、ワイヤードでそのアプリケーションが幼児の鬼ごっこアプリと悪意あるリンケージが張られていた。
 先程の「ワイヤードの声」によると、それは「ナイツ」の仕業ではないかという噂が流れているという事を玲音は知る。

f:id:yamaki_nyx:20180602133820p:plain

 と――、そこに康雄が声を掛ける。
「ワイヤードはあくまでコミュニケーションの場であって、リアル・ワールドと混同してはならない」という旨を告げる。
 これが、康雄が課せられた役割としての言なのか、彼自身の心中にある希望を述べているものなのか――

f:id:yamaki_nyx:20180602133953p:plain

 だが玲音は不適な笑みを浮かべて否定する。
「そんなに境界ははっきりしてないみたいだよ」

f:id:yamaki_nyx:20180602133814p:plain
 玲音はもうすぐ、「フルレンジ、フルモーションで」ワイヤードで自在に活動出来る様になると言うが、民生用NAVIでそんな事は不可能。
 康雄はプシュケーの事を知らないかの様なもの言いをするのだが、当然彼は玲音がそれを入手し、自ら実装させた事を知っている。
「あたしはあたし、心配しないで」

f:id:yamaki_nyx:20180602133826p:plain

 今の視聴者が見ると、女の子の口語一人称が「あたし」というのは下品に聞こえるだろう。しかし20年前は余程改まった時でない限りは「わたし」ではなく「あたし」が普通だったのだ(成人は「わたし」が普通で、「あたし」だとはすっぱな印象だというのは今と同じ感覚)。
 当時は「ウチら」といった言葉もなかったし、こういう言葉遣いの面はやはり時代を感じてしまうところだ。

「ナイツ」なるものが何なのか真剣にサーチをしようとしていた玲音に、レーザーポインタの光が当たる。

f:id:yamaki_nyx:20180602133939p:plain
 室内を動く光点を見て、窓外からだと察知。下を睨むと――

f:id:yamaki_nyx:20180602134053p:plain

 MIBがいる。玲音のNAVIがどこまで発展しているのか、玲音にどんな変化が起きているのかを観察していた様だ。

f:id:yamaki_nyx:20180602134112p:plain
 玲音は強い顔――、「ワイヤードのレイン」の様な声で「あっちへ行け!」と二度叫ぶ。

f:id:yamaki_nyx:20180602133921p:plain
 この二度目の時、MIBの一人の暗視ゴーグル風裝置(今で言うARインターフェイスも兼ねている)が破砕され、MIBは撤退していく。

f:id:yamaki_nyx:20180602134105p:plain

f:id:yamaki_nyx:20180602134059p:plain


 この一連の描写はまるで玲音がサイコキネシスか、魔術的な力を用いたかの様に見えるだろうが、当然これは玲音のNAVIが玲音のヴォイス・コマンドによって作動させた防衛システムが機能したに過ぎない。

「Intruder Interrupted.」というメッセージは、モニタに表示すればいいと思って書いたのだが、隆太郎さんはこれもSの台詞として言わせた。
 この辺りで確か、隆太郎さんに訊いた記憶がある。何故台詞で言わせるのかと。
 隆太郎さんの答えははっきり覚えていないが、「その方がカッコいいじゃん」だった気がする。
 隆太郎さんと私は敬語で話し合ってたのだが(それは最後まで)、酒が入って饒舌になると、隆太郎さんは「え~? だって××じゃん」とハマッ子みたいな口調になった。

 毎回の終幕に出る「To Be Continued」(何故かピリオド無し)の「Be」にだけ色がついているのは、上田Pの趣味。多分BeOSからの引用。
 

f:id:yamaki_nyx:20180602134046p:plain


 尚、シナリオ本の「Interrupted」のスペルが間違っている。
 はぁぁぁぁぁぁ

 

Layer:04 Religion - PHANTOMa

f:id:yamaki_nyx:20180602133218p:plain


 学校では少年の不審連続死事件の噂で持ちきり。「3年の男子」という台詞を書いてしまったのもここ。いや申し訳ないとしか……。
 しかし当時誰も気にしていなかったのも不思議だ。

f:id:yamaki_nyx:20180602133232p:plain
 玲音はすっかり明るい性格になっていて、ノリも軽くなっている。本来なら喜ばしい筈なのだが、ありすはあまりに急激な変化に戸惑っている。

f:id:yamaki_nyx:20180602133103p:plain

f:id:yamaki_nyx:20180602133211p:plain

 この時、玲音が後ろ手に読んでいた本を隠すのだが、暫く前に海外からの質問メールがあって、この本は実在するのかと問われた。表紙のデザインだけを見ると、'40年代のAstonishing Storiesの様なSFパルプ・マガジン的だ。

f:id:yamaki_nyx:20180602134131p:plain

 しかし反転すると「Hacker Heavens」と誌名はちゃんと読める。シナリオでのイメエジは、「Super ASCII」や「ざべ (The Basic)」の様な雑誌だと考えていた。

f:id:yamaki_nyx:20180602133205p:plain

 事件の事をワイヤードで調べるには、早く帰ってNAVIのチューンナップを仕上げたいと思っており、歩き食べしていたクレープを一気に口に押し込み、玲音は三人に先に帰ると言っていそいそと走って行く。

f:id:yamaki_nyx:20180602133343p:plain

 その後ありすは、ぶつかってきた幼い女の子が落とした犬のぬいぐるみを拾ってあげる。
ゲームに登場していた「ビケちゃん」に相当するが、ビケちゃんというぬいぐるみのオリジンは「魔法使いTai!」だったか、記憶がもう……。後の「エコエコアザラク-眼-」の時に伊藤郁子さんにイメエジ・デザインを描いて貰った(が、キャストの年齢が上がったので使用出来ず)。

f:id:yamaki_nyx:20180602133336p:plain
 この女の子は「ガッチャ」と同一なのだが、こちらは同年齢の子役に演じて貰っており、こちらがオリジナルであるという事が判る。

 

f:id:yamaki_nyx:20180602133450p:plain


 玲音はチューンを続けながらヴォイス・メールを聞いている。相手は若い大人の男性で、どこかの研究室に属している。プシュケー、そしてファントマの情報を玲音に伝える役割を担っており、在り様としてはゲーム版の牧野慎一郎というキャラクターと近しいのだが、シリーズでは寧ろ玲音を「誘導」する声の一つになった。

 更なる情報を求めて玲音はサイベリアへ――、行かずともワイヤード経由でJJに訊ねる。

f:id:yamaki_nyx:20180602133323p:plain
「ねえ、ガキんちょが遊んでるゲームの事知ってる?」
 問われたJJはレインがそこにいるかの様に
「PHANTOMaの事か? よしなよ、あんたみたいな大人がやるもんじゃ――」
 と振り向くのだが、レインはそこにいない。

f:id:yamaki_nyx:20180602133443p:plain
 合理的な解釈は必要ないのだが、JJのNAVI端末(画面には映っていないが当然あるだろう)に、生の声かと錯覚するVoIP音声が流れたのだろう。玲音のNAVIのパワーが高まっているが所以なのだが、まだ玲音が望む域には達していない。

f:id:yamaki_nyx:20180602133429p:plain

 シナリオ本注釈にも書いたが、「Phantoma」はフランスの無声時代の怪盗映画からの引用で、元々は「ありすin Cyberland」で使うつもりの名称だった。Doom型のダンジョンで亡霊と戦う――様なゲームを想定していた。
 当時はQuakeIIの時代で、ネット対戦ゲームとしてはもうちょっと進化している時代であったが、テレビアニメの(本来そんな予算枠のない)表現としてはDoom的なダンジョン表現となった。

f:id:yamaki_nyx:20180602133423p:plain
 本来ならプレイヤーはトリガー型のコントローラ端末で無双感を得る様なゲームなのに、そこで現れる亡霊はあまりにリアルな幼児達で、無邪気に襲いかかってくる。ゲームからログアウトしても、リアルワールドに幼児の亡霊が姿を見せる事で、プレイヤーは正気を失っていく――。

f:id:yamaki_nyx:20180602133629p:plain
 マンション屋上のシーツが多く棚引いている場面は、何とは特定出来ないが、実写映画からインスパイアされて書いた場面だった。
 後に中村隆太郎監督と組んだ劇場版「キノの旅 病気の国」で、ビデオ監視室の表現をCRTモニタが多く並んでいる絵面がつまらないと思い、大きな白布を多く吊り下げてプロジェクター上映している様に描いたのは、全く意識していなかったけれど「lain」のこの場面を思い出してシナリオに書いていたのかもしれない。

f:id:yamaki_nyx:20180602133436p:plain

 玲音はプレイヤーの混乱を鎮めたいのだが、自分自身がまだワイヤードで自由には動けず、プレイヤーには亡霊の一種に見られてしまう。

f:id:yamaki_nyx:20180602133613p:plain

 幼児の掌が壁を作る場面は、現代怪談のクリシェの一つ。
 ここで大写しになる幼児の口を開けるカットは、プレイヤーもだが視聴者をも戦慄させる。

f:id:yamaki_nyx:20180602133607p:plain

f:id:yamaki_nyx:20180602133601p:plain

 プレイヤーは既にコントローラを壊しているのに、仮想のハンドガンで幼児に弾が切れるまで撃ち尽くす。

f:id:yamaki_nyx:20180602133732p:plain

 いや――、実際にはもっと酷い事をしたのかもしれない。

f:id:yamaki_nyx:20180602133725p:plain


 シーツに包まれた小さな躯が全く動かないままそこにあり、少年は放心している。

f:id:yamaki_nyx:20180602133718p:plain

 それを、玲音が哀しげに見つめるカットが印象的だ。
 この髪の棚引きがフルアニメーション。

f:id:yamaki_nyx:20180602133711p:plain