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serial experiments lain 20th Anniversary Blog

エクストリーム・アニメ

 

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 中村隆太郎監督参加以前の構想と参加後の全体構想とでは、結末以外は大きく変わってはいない。しかしナラティヴの面では180度近く変わった事は間違いない。

 シリーズに着手し始めた1997年はドラスティックな変化がある時期だった。神戸連続児童殺傷事件が起こり、テレビ番組の表現は著しく制限を受ける事になった。
 佐伯日菜子さん主演版の「エコエコアザラク」は、私が構成を担当した第一クール(というか、そもそも第二クールがあるなんて聞かされてもいなかった)は影響を受けなかったが、血の表現が多かった第二クールは途中でオンエアを打ち切る。
 アニメであっても、平野俊貴監督の「吸血姫 美夕」は妖魔ですら躯を切られる様な描写は、コンテ段階で削除要請が代理店から来て、監督が切れているのを間近で見ていた(私担当話は問題なかった)

 私はホラー作家ではあるが、「死霊の罠II ヒデキ」を書いて以来、もうスプラッターはやりたいと全く思わなくなったので、残酷描写規制の影響は比較的には軽微だった。

 ちょうどその頃に「serial experiments lain」は作られていた。
 ゲーム版にはかなりゴア(残酷)描写があったが、それは私の意向ではなかった。しかしそのテレビ・シリーズで、そうしたショッキングな描写が全く無い作劇は考えられなかった。しかし、血や直接的な暴力描写へ特に厳しいチェックがあった時期だった。
 TV版「lain」は、そういう直接的なものでない、ショッキングな要素を考える必要があった。


 20年前、既に「電波系」という言葉はあったと思う。しかし「毒電波」(これも最近使う人はいないが)はまだなかった。
 統合失調症の人の症例の典型に、「自分の事をひそひそ話している」電波を受信して一層気分を落ち込ませるというものがよく知られている。幻聴、なのだろうが、かくも実際に電波が夥しく飛び交う様になったインターネット時代、そうした妄想はどう変移していくのか、或いは全く変わらないのか――、私はそこに関心を抱いていた。
 ゲーム版「lain」はサイコ・スリラーで、多重人格やサイコパシーなどを扱っていたのだが、私から見るとややオールド・スクールな扱いだった。

 1990年代になって、DSMの規定として多重人格障害という概念が解離性同一性障害という概念になり、ダニエル・キイスの「24人のビリー・ミリガン」は、それまでの多重人格物のフィクション、「シビル」などをモデルにしてきたものとは一線を画した捉え方をすべきものだと認識を改める。
 何故こういう症例を発するのか要因を突き詰めると、到底ライトなアニメやドラマでは表現出来ない虐待を描かねばならない。
 またこの頃、「偽りの記憶」を催眠で「創作」する事象が多く暴かれ、脳研究ではドラスティックな認識のし直しを強いられる時期でもあった。※この辺りはWikpediaの「解離性同一性障害」の項目で手際よくまとめられている。

 多重人格物(そして一つの人格はサイコパス)――という、ありがちなフィクションの時代はもう終わりなのだ。

 そしてこの頃、春日武彦著「ロマンティックな狂気は存在するか」という本を読んだ影響も大きかった。ハンニバル・レクターの様なサイコパスは実在するのかという命題に、実際に精神科医師として対峙してきた著者の答えは明快で「そんなものはいない」であったのだ。狂気の中にロジカルな自己正当性を維持する様なスーパー・クリミナルなど成立し得ないのだ。
 ただその著者の弁を盲信した訳ではなく、その後はまた違う本などでまた認識が改まるのだが、90年代末の私には、これまでアニメ、のみならず日本の映像フィクションでは描かれた事がない様な「狂気」を描かねばならない――という強迫観念があったのは間違いない。

 そして、ネットワーク・コミュニケーションという新たな概念をモデルにして、人が感じる「リアル」が如何に危ういのかを詳らかにしたい――というのが、私の「serial experiments lain」シリーズへの取り組みだった。

 勿論、ヒロインの玲音は共感を抱ける様に描くのだが、シリーズの物語としては、ひたすらに足元の現実が揺らいでいく様な展開を考えていた。
 Layer:05 Distortionは、それを最も具現化したエピソードだった。

 ゴアな描写は全く無いが、実のところ「lain」でやろうとしていたのは、ずっとエクストリームな「狂気」のアプローチであり、当初の構想通りならば遥かにドライな作品になっていたと思う。

 しかし、中村隆太郎監督の参加によって、その質感を大きく変貌させる事になる。それについては次に。