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serial experiments lain 20th Anniversary Blog

「玲音って切ないよね」


serial experiments lain」シリーズの監督を探している時期、トライアングル・スタッフの浅利社長と、当時はフィールド・ワイに属していた鈴木誠二氏の推薦で中村隆太郎さんが監督に迎えられる。劇場作品は既に何本も手掛けていたが、テレビ・シリーズは初だというので驚いた。
 振り返ると上田Pにとっても賭けだったとは思うのだが、1話のコンテを見て完璧に信頼を勝ち取った事は以前に記した。

 ただ、ホン打ち(脚本打ち合わせ)では発言が少なく、実際のところこの監督はこのシリーズをどう思っているのだろう、と考えていた。
 シナリオ的にはもうちょっと後だった気もするのだが、この辺りの時期、トライアングル・スタッフの忘年会が開催された。50人以上はいただろうか、荻窪駅南側の大きな居酒屋に多くの関係者が集まった。
 私は酒を呑めないのでこういう会合は避ける事が多いのだが、中村監督と話せるかなと思い、出向いた。lainのスタッフは極く少数の参加だった気がする。隅っこで何となく過ごしていた。
 一次会が終わって、行く人は二次会へという流れになった時、私は中村監督に「ちょっと話しませんか」と声を掛けた。それを待っていたかの様に「うん」と即答してくれた。

 隆太郎さんは実際には酒をもっと飲みたかった筈なのだが、この時は私と二人で手近の喫茶店に入る事を選んでくれた。
 既にもう前振りは要らないだろうと、私は直裁に「このシリーズ、どうです?」と訊ねた。中村監督は少ししか酒が入っていなかったけれど、それまでのホン打ちの時の様な固さは無くなっていた。
 答えの言葉自体は覚えていないのだが、中村監督はここまでのシナリオを面白いと思っており、概ね肯定的だった。(大体、褒め言葉は『カッコいい』だったのだが)
 ひとしきり話した後、私が驚く事を中村監督は口にした。
「玲音って切ないよね」

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 え、と思った。
 いや確かに、共感出来る様には描いてきたが、かわいそう、とか、哀しい、という表現なら「そうですね」とも言えた。
 しかし、「切ない」という、センチメンタルなワードは想定外だったのだ。
 原作であるゲーム版が未だ私の頭上にはあったので、余計にそう感じたのだろう。
 ※隆太郎さんはゲーム版はプレイしていないと思う。
 
 この中村監督の「玲音は切ない」という言葉が、この後のシナリオを書く私に呪縛とも言える強制力を持ち始めるのだが、それに気づくのはずっと後の事だ。

 前半シナリオのどこを面白いと思っているのか知りたいと、互いの趣味性の話を始めた。
 SFは私よりもずっと読み込んでいる人だった。
 中村監督は私より半周りくらい上で(鶴岡さんもそうだった)、音楽の趣味は被る部分もあったが、やはり軸は世代的に若干のズレがあった。
 中村監督は誰よりもケイト・ブッシュが好きだったが、ジャズもロックも実に正統的に聴くべきものをきちんと聴いてきた人で、私は追従し易かった。
 更にボリス・ヴィアンがジャズとしても作家としても好きという点が二人の共通項として見出される。
 
 この後、ジョニ(ジョーニ)・ミッチェルいいよね、からのジャコ・パストリアス――という連想ゲームが起こるのだけど、それはこの第一種接近遭遇時ではなかった筈。

 この時初めて中村監督のはにかむ様な笑顔を見て、私は親しみを込めて「隆太郎さん」と呼ぶ様になった。
 いわゆる「呑みにケーション」というものを私は忌み嫌ってきたのだが、アルコールという燃料が無いとエンジンが掛からず喋らない様な演出家とは、こういう付き合い方をするしかない、と私は悟った。
 この喫茶店での小一時間の話が、互いに信頼関係を築けると確信し合った時になる。

 ゲーム版を踏襲した、予定されたエンディングについての話を切り出したのはしかし、もっとずっと後になってからの事だった。