出来事の順番など、シナリオから更に難解に時制を入り組んだものになっている。これは隆太郎さんの修正コンテの指示だと思う。
美香は苛立つと髪をかき上げる癖がある。これはシナリオにはなく、岸田さんのデザインから導かれた演技。
ふと気づくと、スクランブル交差点の真ん中で車が行き交うのに、玲音が虚ろに立ってぶつぶつと何かを呟いているのに気づく。
これは「何か」を呟いているので、別に台詞は要らないだろうと「ぶつぶつ」としか書いておらずコンテでもそうなっていたのだが、アフレコの時、鶴岡陽太音響監督に「聞かせないにしても何か言わせないと」と言われ、え、じゃあ何か言わせます? でも台詞無いんですけどと言うと「今書いて」。
こういう事は後の「TEXHNOLYZE」「神霊狩 -GHOST HOUND-」でもあって、いきなりその場で台詞を書かされるという冷や汗物の体験を幾度かした。(最初から書いておけっていう話なのだが)
この話数のアフレコ時は終盤に取り掛かっている頃だと思うので、その時点での玲音の無意識な訴えを記した。だが5話時点では、台詞を聞き取れた人も「なんで?」と思っただろう。
美香は玲音を「馬鹿じゃないの」と見捨てて去ろうとしてしまう。
もしかしたらだが、この時の彼女の選択が、後の彼女の運命を決めてしまったのかもしれない。
ふと街頭テレビを見上げると、玲音の顔が画面一杯に映って戦く。
これはテレビだけではなく、ワイヤード全般にも出現していた。
「お話して」2幕目はエスニックな仮面が相手。隆太郎さんの修正コンテだとバリ辺りの神像なのだが、もっとポリネシア系の仮面で作画されている。
ここでは「よげん」が「予言」と「預言」で異なる意味になる事を提示している。
岸田隆宏さんデザインの玲音は、瞳孔が針穴程にまで小さくなる時があって他に類例を見た事がなく印象的だ。
授業が終わり、モタモタと鞄に道具を入れている玲音(この辺りは安倍君描くところの『ちびちび玲音』のイメエジか)に、ありす達が声を掛けてくる。
「もうそんなハッキーな事、出来るの?」というありすの台詞、当然「ハッキー」などという言葉は当時はおろか現代にも使われてはいない。
玲音には全く自覚がないのだが、まるで覗き見ている様な玲音の顔がワイヤードで拡散していたのだった。
渋谷の事故も、交通管制システムへの攻撃によって起こったと、ネット・ニュウズが報じている。20年前に比べて現在は、ニュース類は新聞やテレビよりもネットから得る人が多くなっている。関心のあるニュースならプッシュ型で自動通知させる事で抜かりなく情報は得られるが、個人の関心外域で起こっている出来事には疎くなっているという傾向に懸念を感じないではない。フェイク・ニュースが一時期はびこったが、新聞にせよテレビ報道にせよ、その信頼を失う様な出来事も少なからずあったのも大きい。
ありすの端末は玲音のと同型色違いの様だ。「ナイツ」なるハッカー集団らしき存在が送っているSPAMメールは、マルウェア仕込みやフィッシング目的もあったのだろうが、ワイヤードを通じてリアル・ワールドの生きた人間に影響を及ぼす実験の一つであったと思う。
麗華が「ハッカーってつるまないんじゃないの?」と言うが、昔もそれほど孤立はしていなかったと思う。
「目的が判らない集団」自体への恐怖は、未だオウム事件の余震が残っていた放映時の視聴者には共感されたと思う。
3人目の「お話」は美穂。
目元が美香と似ていて、二人は実の母子なのかもしれない、と思った。
「ワイヤードはリアル・ワールドの上位階層と見るのが適当です」という台詞は、構想初期からネット世界をどう見立てるか考え続けた私が辿り着いた一つの見地だった。
神秘主義的に言えばアストラル界。そしてその空間にはエーテルが満ちており、一つの出来事が物理世界以外の媒介によって全く異なる場所、人間に影響が及ぶ――
しかし話題は、「では肉体に残り続ける事など意味があるのか」という極論に転ぶ。
ここで玲音は自分の両掌を見つめる。
もう、玲音は美穂が自分の実の親ではないと思い始めている。
夕餉、両親は黙々と食べる中、美香は玲音に「今日、渋谷にいたでしょ」と訊くのだが、玲音は「え……」。
そう、あそこに居たのが本当に玲音の肉体だったのか――。
美香は水のグラスに映る光の斑紋を見つめる内にトランスに入る。
占い師が水晶球を見つめたりするのも、意図的にオルタード・ステイツ(オブ・コンシャスネス)に入る為のシステムなのだ。かなりリアルに、尺をたっぷりとって演出されている分、視聴者が意識変容に陥る危険性はゼロではない。
遂に美香の自我にディストーションが掛かり始める。