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serial experiments lain 20th Anniversary Blog

Anonymous in history


serial experiments lain」に登場するKnightsについて説明をする前に、実際のネット・コミュニティの中に於ける匿名発言の在り方について、現在までの流れをざっくり述べておきたい。なるべく簡便に記すが、それでも各話回顧に入れるには分量が多くなってしまったので、独立したエントリとする。

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 ネット社会は様々な場を移ろって現在に至っている。
アノニマス」は現在知られている、特定の(と言っても構成者は固定されたものではない)サイバー監視抵抗準組織の名称のそれではなく、ネット初期のニュウズ・グループなどに於ける匿名投稿のデフォルト設定として専ら用いられた。
 日本で言えば2ちゃんねる(現在は5ちゃんねる)の「名無しさん」に相当する。

 あめぞうあやしいわーるどといったアンダーグラウンドBBSが90年代中盤に生まれ、それをモデルに巨大掲示板2ちゃんねるが開設され、2000年代までの「ネットでこう言われている」サンプル元はこの匿名掲示板が事実上支配的な存在だった。匿名が基本なので、固定ハンドル(ユーザネーム)のユーザは基本的には疎まれる。
 PCや新しいAV機器についての情報交換といった有益な情報提供源ともなった一方で、アンダーグラウンドな話題や今の観点で言う「ヘイト」な書き込みなども多かった。
 初期の2ちゃんねるは急増したユーザに対してサーバが非力であり、しばしば落ちる事が多く、「避難所」という、別のユーザが立てた掲示板類も林立する。
 その中で独自に画像を貼る事が出来る形式をとった「ふたばちゃんねる」は、独特な嗜好性を持つユーザが集って、すぐにただの避難所ではなく新たなコミュニケーションの場として知られる様になる。
 後にTwitterがサービスを開始すると、ライトなユーザは掲示板のカテゴリという枠に縛られず自由に書いたり読んだり出来るこちらへと移行。検索で自分と近い嗜好性を持つ人と絡む事で「クラスタ」というふんわりとしたグループを形成する様になる
 アメリカで始まったMy Spaceなどの実名ソーシャル・ネットワークは、Facebookの登場で一挙に支配的となる。

 しかし、2ちゃんねる的匿名掲示板のカルチャーに慣れた日本のユーザは、Facebookには行かない勢力も依然として存在した。
 またアメリカでも、実名を晒す事に抵抗あるユーザはいて、日本のふたばちゃんねるを手本にして4chanという匿名SNSが生まれる。
 このデフォルト・ユーザネームが、Anonymousであった。

 

 かつて2ちゃんねるの投稿は「便所の落書き」と蔑まれ、実際酷いものも悪目立ちしたが、しかしそうしたノイズの中には、得たいと思うユーザの情報が確かに存在しており、玉石混淆な情報の山だった。ただ如何せんS/N比が悪く、余程気合いをいれて探そうという意思と時間(とコツ)がないと、甚大な量のログには向かえないのだけれど。
 2ちゃんねるでは幾度も、名無しのユーザ同士が実際に行動を起こすという出来事があった。古くは2ちゃんねるのサーバ負荷が深刻で、閉鎖の危機が訪れた時にUNIX板のユーザ有志が事態の打開に動いたという伝説がある。2ちゃんねる発祥のAA(文字絵)キャラクターを巡って、レコード会社が利益にしようとした事に抵抗して反発運動も巻き起こった。
 こういった「祭り」が、後にサイバー犯罪者を触発してしまう事態も起こってはいる(遠隔操作事件)。

 一方アメリカの4chanでは、英語という幅広い国々のユーザを取りこみ易さもあって、汎世界的な規模で「濃い」ユーザを取り込んでいった。
アラブの春」に影響力が大きかったのはTwitterだと思うのだが、4chanも役割を果たしていた。抗議行動などで、現実世界で集う事も起こり始めるが、その際にはガイ・フォークスのマスクを被って素顔を隠す慣習となる。※実際のガイ・フォークスの思想に共感しているのではなく、映画「Vフォー・ヴェンデッタ」での在り様を反映していると思う。

 サイバー規制や独裁への反抗として、名無しでも集合体となれば影響力を行使出来るのだ、という考え方が興り、これをハクティヴィズム (Hacker + Activism)と呼ぶ様になり、Anonymousという名称はそれの呼称という在り方に移行していくかに見えた。

 しかし、当然ながら「中の人達」に統一された思想、指向がある訳では無く、近年は寧ろ特定の意図で攻撃をする集団が、敢えてAnonymousを名乗るという用法に移ってしまっている様には見える。

 4chan、そしてユーザ・アカウントが必要でモデレータという管理者がいるredditが匿名系掲示板では現在双璧だが、ポリティカル・コレクトネスへのカウンター性をより強く持つ4chanユーザ(のあくまで一部)と、Twitterで伝言ゲーム化した「フェイクニュース」がネット世論をかき回し、2017年の米大統領選挙に一定の影響力を持った事は歴史に記しておかねばならない。

 と、この20年の間にはこういった流れがあったのだが、では20年前のアニメではどう描いてきたか――

 

Layer:06 KIDS - Parasite Bomb

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 玲音は自室の肉体に戻り、ナイツに問い質す。
 これまで玲音に優しく接してきたナイツが、若干混乱している。

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 はぁ、と天井を見上げると――、レーザー・ポインタの光点再び。

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 もうか弱い玲音ではない。
 床の水を跳ね上げながら、部屋を飛び出していく玲音。

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 その間に、冷却コンプレッサーのゲージが異常値を示している。

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 やはり、MIBがそこにいる。玲音は彼らを「ナイツ」だと思っている(視聴者もだろう)。

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 しかし二人は動じない。彼らがここに居るのは、実は玲音を守る為であった。

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 伏せろ、と言うMIB。
 玲音にはすぐに理解されないが――、

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 コンプレッサーのタンクが破裂し、

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 玲音の部屋のNAVIが損壊。

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 MIBは、その爆発はナイツが発した「パラサイト・ボム」の仕業だという。
 ネットを介して物理的な破壊攻撃が出来るのかについては、2009~10年にイランの核施設を破壊した「スタクスネット Stuxnet」が有名だ、と今ならこうして書ける。

 ドイツSimensの機械装置を動かすシステムソフトに仕込まれたマルウェアを使いルートキットで自らの痕跡を消しつつ破壊活動(自壊活動)をさせる仕組みであった。

 普通の家庭ならボヤを起こせる程度しか攻撃出来まいが、玲音の部屋は大規模な冷却システムとコンプレッサー、ガスのタンクなどがあった為に被害が大きかった。

 

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「あなたたちはナイツじゃないの!?」
「我々はナイツではありません」

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 そう言ってMIBは去って行き、玲音は(そして視聴者も)茫然と立ち尽くす――

 

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 今話は異様に力の入った画面で、レイアウトが4人掛かり(岸田さん含む)で、原画陣も豪華。爲我井克美氏も参加してくれていた(私の関わりだと「魔法使いTai!」「ふしぎ魔法ファンファンファーマシィー」)。

 
 私はなかなか言及出来ないのだが(それは直接的に聞いていないからなのだが)、もう1人のプロデューサーであったトライアングル・スタッフ(当時/現ACGT社長)の安部正次郎氏の苦労は如何ほどであったかと思う。
 テレビでやっていい限界はもう越えつつあった。
 私は「現場が大変そう」と聞かされるだけで、シナリオライターは当然その段階で貢献出来る事はないのだが、如何に現場の負担を軽減させるシナリオにしていくかという事にも、半ば意識的に指向していく。

 

 

 

Layer:06 KIDS - Kensington Experience

 

 

 

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 ホジソン教授が以前行った実験は「ケンジントン実験」というものであった。
 子ども達の脳から微弱に発せられるPSI(マイクロPSI/超能力というより超知力)を脳外のアウター・レセプターという裝置によって採集し、ウィリヘルム・ライヒのオルゴン・ボックスの様な裝置に凝集・蓄積するという試み――というのが劇中語られる実験内容。
 
 ケンジントンはロンドンの風光明媚な土地であり、この空中庭園の美術設定もそちらからの発想で作られたと思う。
 しかし私の想定では、アメリカ、フィラデルフィアケンジントン地区の事だった。
 現在この地区は極めて治安の悪いエリアとして悪名を馳せているが、かつては地味な一地方区だった。
ケンジントン計画(実験)」のモデルはシナリオ本注釈にも記した通り、「フィラデルフィア・エクスペリメント」という、UFOや陰謀論ではよく知られた実験だった。
 
 1943年、アメリカ海軍は駆逐艦エルドリッジ号をレーダー不可視にする実験をフィラデルフィア海上で行う。不可視化にはニコラ・テスラテスラコイルを用い、船体全体を電磁的に包むというものだった。
 しかし実験が開始されると、エルドリッジはレーダーどころか目視出来なくなり消失。再び現れた時には乗組員が悲惨な状態で発見された。鉄の壁に半身が埋まっている者もいたという。生存者も殆どが正気を失っていた――。

 我々に広く知られたのは、1979年に日本でも出版された「謎のフィラデルフィア実験―駆逐艦透明化せよ!」(徳間書店)で、著者はロズウェル事件を広く知らしめたチャールズ・バーリッツとウィリアム・ムーアのコンビだった。
 今で言うステルス化は艦船でも当然ながら研究されており、シー・シャドウなどが1980年代にも建造されているが、ズムウォルト級ミサイル駆逐艦などが計画縮小されながら作られてきてはいる。しかし実用的とは未だ言い難い。
 既存艦船をステルス化しよういう試みがあった事は何ら不思議ではない。潜水艦などがレーダーに感知されない様に船体消磁するのだし。

 しかし、斯様な超常現象がフィラデルフィアで実際に起こったのかについては、ほぼ嘘である事は判っている。バーリッツらの本のネタ元はモーリス・ジェサップという博士・著述者の元に届いたカルロス・アジェンデ(アレンデ)という人物からの「レインボー・プロジェクト」(これが計画)に関するリーク文書だったのだが、彼からの続く手紙を読んだジェサップは車に一酸化炭素を引き込んで自殺してしまったのだ。
 アジェンデは後に目撃されており、彼の虚言であったというのが(こういう話好きの間では)一般的な解釈となっている。
 ちなみにこの実験は1993年にジョン・カーペンターのプロデュースで「フィラデルフィア・エクスペリメント」と映画化されたが、実験でタイム・トラベルしてしまうという腰砕けな内容で落胆させられた。

 実験が行われていたとされる時期はマンハッタン計画が遂行されており、それのダミー説というものもある。

 このフィラデルフィア実験はそれで終わらず、陰謀論的な「実験」系譜が続いた。80年代に矢追純一氏演出の番組でも扱われた「モントーク・プロジェクト」なるフィラデルフィア実験の後継的な実験プロジェクトが続いており、それに携わった人は奇怪な運命を辿ったという物語がデマにしても複数のソースで根強く語られてきている。更にこの計画はスターゲート計画や宇宙派遣軍といった完全にUFO/エイリアン陰謀説にも結びついているのだが、これ以上ここで深入りしても仕方ない。
 

 超能力を公的機関が研究しているというのも「陰謀論」の一つでしかなかったのだが、2009年にジョージ・クルーニー主演・製作でコミカルに描かれた「ヤギと男と男と壁と」の原作「実録・アメリカ超能力部隊」(2007)で、極めて小さな規模ではあるが実際に米陸軍で取り組まれていた事が明らかになり、更にユリ・ゲラーがCIAで実際にテストを受けて優秀な成績だった事を含んだCIA文書が近年公開され、「アメリカ超能力研究の真実」(2018)という大部の本が出版され、「陰謀論」ではなかった事がやっと明らかにはなるのだが、世間的にはさしたるインパクトは無かった。
 エリア51という場所がCIAが管轄する施設の中にある事も、CIAが公開したのは2012年過ぎになってからだったが(勿論UFOを隠しているなどとは言っていない。あくまで軍事実験施設)、これも世間の関心を呼ばなかった。


 ともあれ、今話で描いた様な実験は荒唐無稽ではあるのだが、人道的に問題のある実験も、現実にミルグラム実験を筆頭に数多く行われてきたし、有り得ないとまでは言い切れない程度の虚構ではあったのだ。

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 中原順志君の作成したCGによる解説画面、KIDS Systemと書かれてしまっているが、実際には「Knowlede Integration Determine System」の略でK.I.D.S.のつもりだった。

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 そしてケンジントン実験は予期せぬ暴走をしてしまった。
 話している二人が時空を越える場面は手書きアニメーションで描かれる光と影。

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 玲音はその実験が辿った悲劇を見て哀しむ。

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 壁にめり込んでしまった子ども達――

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 この後のシナリオの台詞が若干省略されてしまったので余計判り難いが、現在リアル・ワールドの子ども達に流行っている「女神召喚」ごっこは、子ども達特有の脳の作用を(ワイヤード経由で)統合し、ある種のエネルギーに転換して虚空に虚像を描き出すというものであり、そのメカニズムにはホジスン教授が廃棄した筈のKIDSの実験データが流用されている。アウター・レセプター裝置も要らない様なアップデートが為されており、教授はもし自分の生徒であるなら「A+」の評価を与えただろう、と皮肉を口にしていた。

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 しかしホジスン教授は実験で子どもの命が失われた事で、社会的にも、己の人生も破壊し尽くされ、悔恨の念だけを抱いてここまで生き延びてきた。
 玲音に告白をした事で、やっとホジスンは己に課した罰、生き延びる事から脱する事が出来た。

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 玲音は再び漆黒のワイヤードへと戻る。

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 1本道が、交差した十字路になっており、玲音はそこに立つ。

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 この構図は「神霊狩 -GHOST HOUND-」の1話でも描いたが、「辻」=クロスロードは何らかの決断を迫るポイントなのだ。

 玲音はKIDSのデータをサルベージし、ワイヤードで拡散させた存在が何であるかを悟る。


 「ナイツ!」

 

Layer:06 KIDS - lain in wonderland

 

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 部屋に帰ってきた玲音は、既に「ワイヤードのレイン」の様に気が強い顔になっている。

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 乱暴にリップを拭い、「Hello NAVI」「Connect」という通過儀礼を行うが、これまでは単にインターフェイスとの対話だったのに対し、ここからは玲音の意識変容を経てワイヤードへメタファライズして侵入する為のものとなる。

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 このメタファライズという言葉は「ありす in Cyberland」のダイヴ・インした状態の呼称として使ったのが初出だった。デジタイズといった物理的な言葉ではないものを選んだのだと思う。「デジモンテイマーズ」でも幾度か用いたが、こちらでは子どもに判り易く「肉体がデータ化した」という言い方をした方が多かった。

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 さて、いよいよワイヤード内で自律的に行動し始める玲音。

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 完全な黒バックに、鈍色の1本の「道」という抽象的な表現は完全にアナログ・アニメーション。

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 「口」を出してくる「チェシャ猫」(『不思議の国のアリス』由来)気取りのネット・ユーザへの玲音の言葉はきつい。だがまだ玲音は、自分が異なる性格が切り替わる事に自覚的ではない。
 この場面で、デジタル効果もCGも全く使わなかった中村隆太郎監督の直感的選択は本当に凄いと思う。

「スイッチが入った」状態の玲音は、チェシャ猫との無駄な会話をしている寸暇も惜しんですぐさま自分が求めていた情報を呼び出す。

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 子ども達の奇妙な遊びが何に由来しているのか――
 それはある科学者の実験に関係がある事を突き止める。
 ホジスン教授――

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 その静止画像が変な繋ぎで2カット連続しているのは、中CMを挟んだA,Bパートの切れ目が直結しているからで、これはおかしい演出ではない。

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 既にホスピスで、生命の灯が消えようとしているらしいホジスン教授の許に、玲音はテレポートする(ワイヤード内なので距離は無い)。
 生命の灯が消えようとしているが、彼にとっては永遠の様に長い時間、黄昏の空中庭園でずっと自分の人生を訓誨している。

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 ホジスンという名称は「不思議の国のアリス」作者、ルイス・キャロルの本名であるチャールズ・ドジスンからの発想だが、やはり怪奇小説作家の名前からの部分も大きい。昔、佐野史郎さんと、「オカルト勘平2」の時か「インスマスを覆う影」の時か覚えていないが話している時、東宝映画「マタンゴ」の原作者を、「ウィリアム・ホープ・ホジスンは――」と口にされたのを聞いて強い印象に残っていた。

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 玲音が生々しい姿にメタファライズしている事に驚いているが、ホジスン教授も全く動けないだけでリアルな姿になっている。恐らくリアル・ワールドの肉体は生命維持装置に繋がれ意識は無いのだろう。
 他に人が立っている様に見えるが、空中庭園に飾られた石像だ。

 

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 玲音は教授の状態を判りながら、詰問をする。現在リアル・ワールドの子ども達の間で流行っている「遊び」が、かつてホジスン教授が行った実験のデータが利用されているところまで、玲音は判っていた。しかし、その実験は検索でも辿れない。

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Layer:06 KIDS - Friends

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 玲音の携帯NAVI入力が高速化している。
 ありすは玲音が以前の様に、内向きな感じに戻っている事を懸念している。
 やはり玲音はワイヤードばかりだと知るや麗華が「ネットパルなんて」という台詞を言うが、これも当時にも無かった言葉だ。昔の古式ゆかしい「文通友だち」の事を「ペンパル」と言ったものだが、流石にそれの流用造語は厳しいものがあった。
 麗華の見方はありすにも「案外古いところある」とジャッジされてしまう。

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 ワイヤードでどういう人と知り合いになっているかを問われた玲音は、

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「ひ・み・つ」

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 さて4人は玲音に色々着せ替えをして愉しんでいる様子。ここがありすの家だとは明示していないが、玲音がありすの家に入ったという事が今後の伏線になっている。

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 そして4人は渋谷へ。玲音には友だちがいるのだ。淡い色だがリップも塗られ、愉しそうな玲音。
 ふと麗華が、変なポーズをしている子どもを見つける。

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 (玲音の帽子とバッグは自前らしい)

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 玲音は朝に見たのと同じだと気づく。
 

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 更に横断歩道を渡っている時、大人の隙間から見える姉弟らしき小学生が、空に向かって腕を上げ始めているのを――見て――

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 ここのカットバック、本来なら進行方向と逆になっている。
 シナリオ本注釈では「イマジナリーラインを崩している」という書き方をしていたが、見返してみるとそう単純ではない。
 朝の小学生を見つける時といい、カットバックのルーティンが崩れるのは必ずや「玲音の見た目」のカットなのだ。

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 小学生達が仰ぐ、その上空へと視線をやると――、

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 曇天の雲間が割れていき――

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 それは玲音の幻視ではなく、ありすも目視する。

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 ちょっとヘボい合成になってしまったが、縦パンを繋ぐとこういう構図。

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 天女か、観音菩薩か――、伏せ目の女神は、玲音――
 これも今のテレビでは放送出来まい。

 子ども達は何か操縦されてそういう行為をしているのではない、という事がこのカットで判る。判ってしまう。

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 こんな斜め後方から表情が判るなんていうアニメの描写、他に見た経験が未だにない。

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 玲音は察知する。これは子ども達に流行っている『遊び』なのだ。
 そうやって「喚起」(エヴォケーション)する事で、ワイヤードの女神が見られるのだという「遊び」。
「神は信仰される事で神となる」
 これがこの物語に於ける神の規定となる。
 果たして女神の如きヴィジョンがリアル・ワールドの空に垣間見えた。起こった表層だけを見ると、ポルトガルファティマの聖母の顕現にも似ているが、勿論ここでの事象に本来的な宗教性はない。

 一人の子どもの信仰では、そうは簡単に「奇跡」など起こらない。だが、口伝え(ワイヤード伝え)にそれを真似る子どもが加速度的に増えていったなら――
 ナイツ=Knightsの説明は次話で詳しく触れるが、ネットのアノニマス達の集合知、はてはハクティヴィズムがリアル・ワールドの真実すらも変える(時に歪める)かもしれない――という幻想をここでは描いているのだが、如何せん今話でそれ以上の描写説明は入れる余地が無かった。

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 岩倉家では、一切後ろに向かず美穂が居間にいる美香に語りかけている。
 最近美香は帰りが早いが、逆に玲音が遅くなっているというぼやき。
 美香は力なくソファに座ってテレビに向いている――

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「(大学)推薦、とれそうなの?」という質問に――

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 美香は答えられない。
 今話は、喉がつかえた様な吐息しか発していない。
 まだデビュウしたばかりだった川澄綾子さんのナチュラルな演技は、岸田さんのデザインと相まって、美香を極めて魅力的なキャラクターにしていたが、前話でゲシュタルト崩壊を来してしまった。以降は「壊れた」美香しか描けなくなってしまい、アフレコ時に私はひどく罪悪感に苛まれる事になる。

 と、ドアの音がして美穂「あ、帰ってきたみたい」。

 

Layer:06 KIDS - Into wired

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 中村隆太郎監督の演出法が見え始めた頃に書いたエピソードだった。
 私は実写であれアニメであれ、30分(22分)には最大限に情報量を入れ、細かいシーン・バックで展開させる方が多いのだが、「serial experiments lain」では極力、静的な話法を貫くべきだと判った。それが中村隆太郎監督のイマジネーションを喚起させ易いからだと判るのは終わってからの事だが、直感的にそうすべきだと思っていた。

 サブタイトルはラフ構成案にあったものがそのままで、タロウ達サイベリアの子ども達を軸にしたエピソードを(ぼんやりと)想定していたのだが、5話までワイヤード内描写を避け続けてきて、もう限界だと痛感していた。
 隆太郎さんならワイヤードをどう描くか。私からカードを切らないと始まらない。

 

 絵コンテ+演出:中村隆太郎 作画監督:菅井嘉浩
 画面設計はシナリオ本には岸田さん一人しか記されていないがエンド・クレジットだと
 岸田隆宏 新井浩一 須賀重行(!) 坂寄隆好

 


 シリーズ中、最も虚構性が高く、「正直意味判らない」と思った人が多かったとは思う。
 こちらも「判らせる」事を諦めていたのだから仕方ない。
 しかし虚構内整合性をとるよりも、ヒロイン玲音の「変化」を感じて貰えたらこのエピソードの役割は果たしていた。
 本ブログでこれから記していく事柄の多くは私の「脳内設定」に過ぎず、隆太郎さんにも「説明」は全くしなかった。隆太郎さんの解釈と私のそれとが合致していない可能性が大いにあるが、それでも構わなかった。
 設定の説明はばっさりオミットしてまで間合いを入れたのが6話だった。


 アバンの夜の渋谷バンクは、「つながる」事についての言及に絞られつつある。つながってなんかいないという人もいれば、つながる事に意味や可能性を見出そうとするのが今話のヴォイス・オーヴァー。

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 電柱・電線の「ぶーん」の後、
 岩倉家の暗い2階廊下に佇む康雄。玲音の部屋を覗くまでたっぷり15秒。殆ど動きはない静謐な導入。勇気があるコンテとしか言い様が無い。

 

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「玲音、はいるよ」
 大林さんの、普通とはちょっと違う台詞ニュアンスは、隆太郎さんのコンテ通りの口パクに完全に合わせられていたから生まれたと思う。
 普通なら、もっとノーマルに寄せるか、著しく外れるなら「タイミング」と言って口パクの方を後でやりくる。
 しかし中村隆太郎監督+鶴岡陽太音響監督の現場では、完全にコンテのパクに合わせる方針だった。後で言及する「カール!」も全く同じなのだ。

 結果として、康雄という人物には独特の個性が更に視聴者には印象づけられている。
 シナリオでは水が階下に漏れてる云々のやりとりがあるのだが、隆太郎さんはオミットした。そして、康雄の絶望的な感情をたっぷりと描いた。

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 CRT以外に仮想スクリーンが幾つも浮かんでいる。
 20年前、よもやビスタビジョンの画角がマジョリティになろうとは全く予想出来なかった。私の様な縦書きの物書きにとっては、ワイド画面よりもスタンダード画角(で高密度)なモニタの方が有り難い。しかし液晶メーカーは多勢のサイズを大量生産する事でコストを下げている……。

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 康雄ならずとも、この部屋の惨状には驚かれるだろう。
 夥しく水が漏れ出しているのは、送風機程度では追いつかなくなり水冷クーラントを循環させる電動ポンプが幾多も作動しているからだ。
 メインのNAVIは相変わらず卓上のマシンなのだが、拡張に継ぐ拡張で計算も並列化させ、更にオーヴァー・クロックで常用している。GPUを外付けにするというのは、近年のPCIe規格が出来てからは普通に製品化される様になったが、当時はマザーボードから離して設置するなど考えられなかったと思う。

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 玲音はワイヤードと「つながって」おり、恍惚的な表情を浮かべている。
 それが康雄を絶望させている。

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 この「チャット」(囀り)場面は、背景こそデジタル撮影が使われ(ダイアローグに合わせて明滅)ているものの、玲音の描写は完全にノーマルなセル・アニメーション。「抽象的な空間」は寧ろテレビ・アニメの方が当たり前に描いてきた世界だった。

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 さてワイヤード内。玲音は「みんな」と愉しく話しているが、他者の声は玲音にしか聞こえず、モゴモゴとしたノイズで表現されている。
 シナリオのト書きでは「呻き」とだけ書いたが、ホン読みの時に多分私はこう説明した筈だ。
 昔NHKで放送された「スヌーピーチャーリー・ブラウン」(谷啓さんがチャーリー役だった)は、大人の声はミュート(消音器)をつけたトランペットなど楽器で表現され、子ども達の台詞だけでやりとりをしていた。大人そのものが画面には映らないのだから、こういう演出で、非常に印象的だった――と。

 この「みんな」がナイツだと玲音は認識しているが、まだその素性や意図は判らない。

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「あたし、友だちって少ないから……」

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 翌日、登校しようとしている玲音が、立ち止まり空を見上げている小学生を見掛ける。
 という場面なのだが、どう見返してもバンクの坂道と小学生は繋がっていないジャンプ・カッティング。普通なら「ミステイク」なのだが、バンクに手を加えるよりはモンタージュで「伝える」事を選んだのかもしれない。
 今話は斯様にアブノーマルな演出が頻出する。

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 この時玲音には空には電線以外なにも見えてはいない。

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このブログについて

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serial experiments lain」が放送されて20年になる、という事でファンの有志の方々によってイヴェント「クラブサイベリア」が7月7日に開催される(チケットは既に完売してしまったがキャンセル分が今後僅かに出るかもしれないので、シオドアさんのアカウントをチェックされたい)
 それに向けてネットで盛り上げていこうという趣旨で、毎週金曜日の22時から、2話ずつ「lain」を各自のメディア、もしくはストリーミング(バンダイチャンネル等)で再生し、Twitterであたかもテレビ再放送をしているかの様に実況Tweetをしよう、というささやかな提案がなされ、毎週瞬間的にトレンドに入る程に賑わっている(#lain20th タグ)。
 私はリアルタイム直後以来、シリーズを通して見返した事がなく(見返し難かった理由はいずれエントリに記すつもり)、2010年にリリースされたリマスター版Blu-rayも観たことがなかった。
 中村隆太郎監督が亡くなって今年でもう5年も経ってしまう事になり、いつまでも鬱々としているより、当時の事を思いだしながら見返してみようと考え、Twitter同時視聴会で観た分を、各話毎にネットに書き残しておこうとしているのが本ブログ。

lain」に取り掛かる以前の経緯などから順番に記しているので、興味を持たれた方は最初のエントリから順番に読まれる事をお薦めしておく。

小中千昭

yamaki-nyx.hatenablog.com