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serial experiments lain 20th Anniversary Blog

ファンファンファーマシィー

 

 サイトを立ち上げたが、自分のサイトにBBSを設置はしなかった。しかしメール・アドレスは公開していたので(サイト公開者でありドメイン保有者はそうする必要がある)、作品のファンの人からメールを貰う事が徐々に増えていった。
 特に思い出深いのはやはり「lain」と「ふしぎ魔法ファンファンファーマシィー」の時だった。共に1998年作品である。

 

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 特にファンファンは、対象が幼い女児対象の番組枠「アニメ週刊DX!みいファぷー(30分枠で3作のオムニバス形式で、それらを合体させたのが枠タイトルだった)の1コンテンツで、視聴者のリアクションなど全く判らないまま書いていったのだが、サイトにコンテンツを公開すると、意外や近い世代の男性視聴者が強く支持してくれていたのが判って、それが嬉しかった。
 私の作家歴でも、「ウェルメイド」なものに本気で取り組んだのはこのシリーズだけかもしれない。私の趣味性が色濃く出る回もなくは無かったが、基本的には幼い女児が楽しめる、或いはその親御さんが見せたいと思うファンタシーを書く事を自らに課していた。

 このシリーズに関わる契機となったのは、以前に伊藤郁子さんと取り組んだ作品があったからだった。

 1995年辺り、佐藤順一氏が総監督、伊藤郁子さんがキャラクターデザインを務めるOVA魔法使いTai!」に、ヘルプで参加する事になった。既に1話のコンテまで進んでいる6話構成の、2話以降のシナリオを書くというミッションだった。
 その頃の私はまだアニメをあまり書いていない頃で、仲介となったオニロの井上博明氏(SF界には知られる)から「小中ちゃん、30分物で学園物のシナリオあったら貸して。サンプルで監督に読んで貰うんで」と言われて、はいと渡したのが「学校の怪談」(関西テレビ版)。
 どうやら合格したらしく、製作会社の(今は無き)トライアングルスタッフへ顔合わせに行くと、どうやら佐藤監督は私の台本を読んでいなかった事を知る。佐藤監督が異常なまでの怖い物嫌い(自分が作るのは全然OKという)で、読まれたのは奥様の恭野さん(選曲家で知られる)で、「いいんじゃない」という言質を得ての起用だった。

 あくまでヘルプ的な参加だったのに、イヴェントで演奏させらるわ自主映画は撮らされるわ、ノヴェライズも4冊も上梓するまでズブズブに浸かる。

 

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 そこからややあって、伊藤郁子さんから東映アニメで児童アニメの仕事がありそう、と誘われて参加したのが、ファンファンだった。
 柏葉幸子さん原作・荒木慎司さん画の児童文学が原作で、ふきこさんという町の薬局の経営者が魔女。なつみという女の子が魔法の世界に魅せられていくというもので、魔女という存在が日本の地方都市にいても不思議ではないという説得力のある作品だった。

 今回は「へりたこプーちゃん」「こっちむいてみい子」と3本立てで毎週放送する訳で、「キューティーハニーF」の後枠であり、バンダイの玩具と連携させる必要もあり、子どものキャラクターはオリジナルにする事までは決まっていた。
 ぽぷり、というヒロインはゼロから全て伊藤郁子さんが創り上げたキャラクターだった。
 私も、そしてシリーズ・ディレクターの貝澤幸男さん(この時が初のコンビとなる)も、伊藤さんがキャラクター設定画に細々と書き込まれた表情や仕種ばかりでなく、様々な情報を読み取って、それを如何に映像化するかを考えていった。

 毎週10分弱程度の尺だったので、私は全話を自分で書く事にした。4回ほど30分まるまるの回もあった。他の仕事もあった関係で、一週間に複数話書く時もあった。今となっては到底無理だが、一年のシリーズを全話書くという体験を得られたのはこの時だけで、後に構成役をする上でもこの体験が無ければ、実際的な仕切りが不可能だったとも思う。

 作っている側の熱量は、視聴者にもだだ漏れていた様で、メールをくれた人の中には自身のサイトで感想を書かれたりしていた。
 顧みると、私自身もNHK少年ドラマシリーズ(というものがあった)を、高校生ぐらいまでは見ていたし、対象年齢というのは商品の購買促進的にはそれに専心すべき枷なのだが、何を見て支持をしようがそれは視聴者の自由なのだった。

 ファンファンのファンの人が熱い語り口でメールをくれたのと対照的だったのが「serial experiments lain」ファンの人達だった。