
2話まではコンテ・演出をこなされてきた中村隆太郎監督だが、3話から演出を委ねざるをえなくなる。3話は松浦錠平さんが演出。
「lain」のシナリオを何時から書き始めたか、NASに保存してあるファイルを調べたが、後半からはPDFが保存されていたものの、序盤のものは残っていなかった。
しかし1998年に入ってもシナリオは中盤までしか上がっていない事が判る。色々上がってくる設定、コンテ、そして序盤のアフレコ、完成映像を見ながら終盤を書いたという記憶は正しかった。
私が30分物(22分尺)を書くシナリオは実写・アニメ関係無く、三交社、シナリオプリント、シーエフといった台本印刷会社が製本する台本(基本的には実写映画用のもの)の見開きで16,7頁分がジャストなのだが、「lain」は意図的に13~15頁程度に短く書いている。
アクションがあるフォーマットでもなく、登場人物数も必要最小限なので、演出の自由度を最大限に確保する意図で短めに書いていた。
余談だが、2000年代に入っても尚、アニメのシナリオは20×20字詰め原稿用紙換算で何枚、という基準が生き残っていて唖然とした。
昭和の先達は確かにペラ(200字詰め原稿用紙)で書いていたろうが、ワープロ時代、パソコン時代に入ってすらその慣習が支配的だったのには憤りすら覚える。
時間のコントロールこそ脚本の最も担う役割であり、監督やスタッフは製本化された台本でその塩梅を計算出来る。ならば最初からそういうフォーマットでシナリオを書くべきなのだ。
大幅に余談になってしまった。

3話はダイレクトに2話からの続きで始まるが――、
ヴォイス・オーヴァーでこういう台詞が入る。
「ねえ、ワイヤードのレインって知ってる?」

警察に保護されたありす達は保護者が呼ばれ迎えに来ているが、玲音は誰にも連絡がつかず、保護司(刑事と誤解されがちだが仕方ない)

親に急かされて玲音を置いていかねばならないありすは、涙を流して謝る。
玲音はありすの体温を感じている。今の彼女にとってリアルな感覚はそれだけだった。

警察に送られて帰宅するも、岩倉家には照明が一切ついていない。

まるでホテルの空き部屋の様な両親の寝室。美香もいない。

玲音を待っていたのはNAVIだけだった。

「お休み、NAVI」「おやすみなさい、玲音」

このシリーズの音楽は、ラスト近くに仲井戸麗市さんらの不穏なギター・アルペジオが流れるくらいのミニマルな用い方をしているが(劇中音楽は別)、この一連のシーンではピアノ単音をパルス的に鳴らす環境音楽がずっと敷かれている。
とても30分のアニメ・シリーズの一話とは思えない、じっくりと時間経過を表現している。普通のアニメなら半分以下の尺でやってしまうところだろう。ここが中村隆太郎監督の特異なコンテだと思う。

目覚めた玲音は、再びハイコントラストの世界に戻っている事に気づく。
色指定でも拘った演出。

母親に昨晩の事を訊ねようとするも、全く近寄り難いのもいつも通り。

そして登校しようとすると、外には黒塗りの車が駐まっており、赤い光点が玲音を追っていた。前夜の少年が使った銃をも思わせる。

電車の中で、いつもの様に聞こえる「声」。しかしはっきりと玲音に呼び掛ける声が聞こえる。

多分この「声」は立木文彦さんが演じられていが、今の段階では「誰」かが問題ではない。