さて問題のシーン。
もう20年も前の作品だし、今更シナリオの書き手がガタガタとナイーヴな事を言ってもみっともないのは判っているのだが……。
事実として、シナリオの「直接的ではない描写で最大限に視聴者にショックを与え」ようという意図を、上田P、中村隆太郎監督が支持してくれて、アニメーターによって極めてリアルな画面が描かれ、演技者によって具象化された。
誰もが、他者には絶対知られたくない様な欲望や秘密を持っている。それを見られたばかりかネットで喧伝されるという事が、どれだけ人の心に傷を負わせる事になるかは、20年前も、今になっても尚、変わらない。寧ろ現在の方が痛手としては拡大しているだろう。
先のエントリで述べた通り、別の筋立てで進めていた為、今話の為に若い男性教師というキャラクターを前振りを出来なかったのを悔やんだが仕方ない。
ここで描写しているのは当然ながらありすの妄想であり、教師との会話も作品内事実ではなく、「いけない事をする」というダイアローグは当時はOKだと思って書いた。
しかし現代のテレビ・アニメなら完全にアウトだ。こうした「アウト/セーフ」の基準は社会的な空気感で決まる。
二人の会話と、ありすが実に控えめにだが、リアルに漏らす吐息を結果として放送時はカットされた。
シナリオ、コンテも通っていたのに、アフレコが終わってからの時点で「このままでは放送出来ない」と局側の判断が出る。
私の記憶だと、ビデオ編集(映像として完成させる最後の行程/上田Pが仕切っていた)のスタジオでの話し合いだったと思う。私はアフレコの東京テレビセンターにしか行っていなかったが、この時の話し合いは別の場所だった。
当初はこの場面のカットという事になりそうというので、当然ながらそれでは話が繋がらなくなるので、ネゴシエーションが必要だと私も呼ばれたのだった。
私は特撮方面の現場だと、結構監督や他ライターとぶつかるという全く褒められない態度をとった覚えはあって、それが業界内々で誇大に伝わっていた。
なので、どうせそういう風聞持ちではあるし、上田Pは紛れもなくクリエイティヴ側なのだが、こういう局面ではメーカー・プロデューサーという立場になって辛いところだろうし、ここは私が憎まれ役として喧嘩するしかないだろうと思って赴いた。
しかし、開口一番、猛然と抗議をしたのは中村隆太郎監督だった。
私はかなり驚いて、口を挟む余地も無かった。
この時の事は、後になって隆太郎さんと話した事がなく、多分自分が全部を被って作品を護ろうとしたのだろうと思っているのだが、本当にあそこまで怒っていたのか、私には判らないままになってしまった。あまり愉しい記憶ではないので、その後触れなかったのだ。
結果として私は冷静になれて、カットしないで妥協出来る点を見出そうという立場にシフト出来た。これも隆太郎さんの意図だったとしたら、ちょっと恐ろしい程に老獪だ。
局担当プロデューサー(当時)の岩田牧子さんは、我々がこういう場面を描くのは扇情的な趣味性ではなく、このアニメ・シリーズが描こうとしている物語に絶対必要な要素なのだという主張はなかなか理解はされずとも受け容れてはくれたのだが、そのままの放送は社内的にも出来ないと判断されていた。
結果、テレビ放送版では男性教師とありすの会話、ありすの吐息の音声をカットするというのが妥協点となった。
今となっては、リアルタイムでテレビ版を見た人よりも、ソフトや配信で完全版を最初に観た人の方が圧倒的に多いし、何を今更という事を書いているのだが、テレビ等メディアにはそれぞれ表現の許容値というものが20年前にもあって、今は更に厳しくなっている。
殊更にエクストリームな表現を狙わずとも、思わぬところにタブーというものはあって、最悪の場合に発展してしまう事もある。
だけど、何処かしらで創作者は「挑戦」をしなければならない、と今も思っている。
この「lain」8話のあれこれについては、「そういう事もあった」と他山の石として読んで貰いたい。
私は内心、とてもこの件ではダメージを受けていた。アフレコ時、浅田葉子さんがどんな気持ちで演じられたかという、ありすの演技を部分的にせよ放送出来なかった。浅田さんに申し訳なかった。
台詞はカットされても、その後の「lain」とのやりとりで何となく情報は伝わっただろうとは思うのだが。それも私の願望でしかなかった。
そして「lain」。悪魔的な言動をする第3の玲音。
玲音 レイン lain ――表記は単なる書き分け・演じ分けの用途でしかない事は前に述べた。
実に下卑た表情は、隆太郎さんのコンテに描かれた絵からの発展系。
清水香里さんは、玲音のターンとlainのターンは別個に録ったと思うのだが、それにしても実質的にこの回は3役を演じているに等しい。だが今話の頃にはもう信頼感があった。
玲音はそもそも、隆太郎さんのコンテ特有な、台詞の微妙な切り、間(基本的には不自然な)、というのが濃厚で、そこはきっちり鶴岡陽太音響監督に指示され、何度か録り直す事は屡々あったのだけれど、この頃になると隆太郎さんのコンテを描く上で、清水さんの演技、またスタジオでの在り様を見ていて、フィードバックしていたと思う。
何かの折に話している時、何度か隆太郎さんは「清水香里ちゃんは~」(何故かフルネーム)と言及していた。こういう風に演じるだろう、といった期待が込められていた。