ここからB-Part。
岩倉家――
玲音は「ぐるぐる」状態で凄まじい仕事量をワイヤードで実行しているのだが、肉体は抜け殻の様にただ苦しみに堪えおり、ポンプの動作音だけが聞こえる静寂の中。
疲弊し、躯を傾がせていく。
横になった玲音の前に、英利が声を掛けてくる。
玲音は部屋内に拡張し尽くしたNAVIを自分の躯にエミュレータとしてロードした偉業を讃えるが、あまりに一挙に処理をするとオーバーフローを起こすと忠告する。
玲音は「自分を機械みたいに言わないで」と抵抗するのだが、あまりに多くの情報に接すると一時記憶=キャッシュ・メモリの容量を越えて、以降何もLTP(長期増強)プロセスを経る事が無く、長期記憶が出来ない――という脳の実際の立ち振る舞いを思えば、x86コンピュータであっても脳と近しい働きをしているのだと私には納得がいく。
しかし英利は冷徹に、玲音は実行プログラムなのだと宣告する。
玲音は何故ここまで苦しまねばならないのか。
全く身に覚えの無い、もう1人の自分(lain)は何故あそこまで悪意ある行動をしたのか。
もし英利の仕業であるなら、ここでのやりとりにはならない。
玲音は認めたくないが、自分の中にあのlainの性質がほんの僅かな割合ではあっても、有していたのだという事実に向き合わねばならなくなる。
そして、本当の、いや自分がそうありたい「玲音」は、lainがしでかした過ちを如何に自ら痛めつけてでも修復するのだ――。
しかし、玲音の肉体は限界を迎えていた。
床に再び横たわる玲音。
夜の岩倉家前に、裸足で立っている玲音。
この一連の場面は、従ってワイヤード内の描写だ。しかも「今」という時制で統率された空間でもない。
歩き出す玲音。
電線の声(視聴者には聞こえない)に「うるさい」と呟き――
「五月蠅い!」と叫ぶ。
と――、電柱の側に異様な不定形の何かがいて――、それは玲音の前を通過していく。
するとそこに立っていたのは、四方田千砂。
玲音は再会出来て嬉しいと思っている。
もうすぐそっちに行けるよと呼び掛けると、千砂は哀しそうに目を伏せる。
死ぬのは簡単じゃない。
背後から少年の声。
サイベリアでアクセラを過剰摂取し、錯乱して銃で自殺した、あの名も無き少年は、玲音を黄泉へと誘う。
ふと気づくと、既に銃は玲音の手の中に。
あぁ、やっと思い出した。この場面が問題になったのは、明らかに中学生である玲音が銃を持つという描写がコンプライアンス的に問題視されたのだった。
「レーザーサイトが照射しているので、これは光線銃なんです」という噴飯物の言い訳はこの時に私が言ったのかもしれない。
実際撃つ様な場面ではないので、多分上田Pが説得してくれたのだろう。シナリオ通りに描写されている。
玲音には、一度は銃を持たせなければならないと私は思っていた。ゲーム版と呼応させる為に。だが、普通の女子中学生(当時JCなどという言葉は無かった)が拳銃を持つというシチュエーションをリアルなドラマではなかなか描き難い。
突拍子も無い表現や展開はさせていても、「lain」は私にはリアルな物語だったのだ。
2話のアクセラ少年がワイヤードのレインに一体何をされたのか、何を言われたのかは不明なままだが、少なくともトリガーを引く切っ掛けを作ったのは玲音であった。
玲音は自殺しない事を少年に詰られる。
既に、肉体に自分は固執していないのではなかったのか――?
そう、この場面も玲音の精神状態が見せたディリュージョンだった。
はっと見上げると――、玲音の前には坂道の下の住宅燈火ではなく、これまで見たことも無い、まるで異星の都市夜景かの様な風景が広がっている。
電線より遙か上空にて高速に信号が行き交っている。
Landscape=風景というキーワードは、この後の話数で意味を持つ。
玲音の極限状態の意識はこんな幻影を見る程に昏迷していた――。