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serial experiments lain 20th Anniversary Blog

Layer:13 Ego - Alone in Shibuya city

 

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 ぶぉおおおんと一際ノイズが高鳴り、

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 極限的なフォーカス・イン・アウト

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 そして久しぶりに縦書きの「黒味にスーパー」

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「しまえばいい」の行はゆらゆらと定まらないまま。


 そして、これまでの毎週冒頭にあったノイズ――

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「プレゼント・デイ、プレゼント・タイム HAHAHAHAHA」

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 アバンのバンクはフルでノーマルに流れるが、ヴォイス・オーヴァーはなく効果音のみ(これもノーマル・ヴァージョン)。

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 そして――、

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 彩度が落とされた渋谷の街、東急本店通り。

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 人も車もいないそこに独り佇む――

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 当たり前だ。自分が最初からいない世界にリセットしてしまったのだから、玲音は悲しんでいる。

 空を仰ぎ――

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 あまりの胸の苦しさにしゃがみ込んでしまう。

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 そこにもう一人の玲音――「れいん」が現れる。

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 前話に登場した、初夏のワンピース姿の「れいん」
 前話のシナリオでは「玲音」、13話は「lain(便宜上)」と記していたが、隆太郎さんがコンテで「れいん」と命名した。

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 れいんはやはり玲音のオルターエゴではあるが、殆ど玲音自身だと言ってよい。前話冒頭、教室でありすに微笑んでいた制服の玲音も「れいん」状態だった。

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 玲音という特殊な存在でなくとも、そして解離性同一性障害者にも限らず人は、時に自己の中で対立する考え方が拮抗する。
 自己肯定をする自分と否定をする自分、どちらも「自分」。

 ここからの玲音とれいんの対話は、だからどちらも彼女の中にある考え方である。

 渋谷と、世田谷の岩倉家、学校だけが存在する小世界。

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 それが玲音の世界だった。

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 このブログは、「lain」シリーズのストーリーや設定の「正解」を記す意図ではなく、リアル・タイムの視聴者には伝わりきれなかったであろうディテイルを書いているのだが、最終話、一体玲音とはどういう存在だったのか、それ自体は私自身が決めつけたくなかった。ただ、実際にアニメーションとして描かれ、俳優によって人としての感情を吹き込まれた「作品」となっては、シナリオを書いた私も視聴者と同じく、「解釈」をする事になる。だからそれが「正解」ではないし、本ブログは「答え合わせ」ではないというスタンスは変わらない。

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 この二人の玲音の対話をここで全て書き起こしても意味がない。
 ただ、対立する考えをぶつけ合った上で、玲音は自分の「気持ち」を、「自分自身の記憶」を維持する事を選択する。

 二人の玲音は、彼女の世界だった各所に転々としながら話を続ける。

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 ワンストラップ・シューズ。

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 サイベリア

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 学校

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 玲音はワイヤードが「場」となった頃から遍在していた意思体である事は恐らくそうなのだろう。普通の少女にその意識が転移したのか、橘総研生化学部の完全なる人工生命体なのかは判らない。
 玲音は様々な性質の自身の分裂性を当初は認められず、自身の肉体にある「自我」だけが自分の意識なのだと、8話で英利に対して悲痛に宣言したが、この時の思想はデカルト的なものであって、カント、ヘーゲルフッサールハイデガーらが連綿と「自我」と「意識」を捉え直していくのと同じく、玲音は自分に起きている事、起こしてしまった事についての捉え直しをし続けてきた。

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 いっそ神様になってしまえば楽になると、れいんは言う。

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 またやり直そうよとも。

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 しかし玲音はそれを全て拒絶した。

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 何故か――


 れいんも消してしまった玲音は深い闇に包まれていく。

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 しかし――、頭上からの声。

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 あの懐かしい、お父さんの声。

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 プラトンの洞窟モデルそのものの構図で、光の中の康雄が玲音に「もうそんなもの被ってなくてもいいんだよ」と優しく言う。

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 くまパジャマのフードを脱いだ玲音。

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 さてここからのこの場面がシナリオと大きく変わっているのはシナリオ本を読まれた人なら知っているだろう。

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 シナリオでは、マドレーヌを紅茶に浸して食べるという事を康雄に教わり、玲音はそれを口にして、自分のこれまでの人間として生きてきた中で感じた事、抱いた気持ちを全て思い出して涙を流し、このセグメント最後の台詞(これは映像化版も同じ)を言う。
lain」シリーズの物語は、このフィクションの中だけで完結したものではなく、ネットワークの進化やコミュニケーションの在り方、現代思想、社会現象、宗教など様々な問題に言及をして、それらの背後にある膨大な情報をバックグラウンドにして綴ってきた。
 知識がある人なら、紅茶とマドレーヌが「失われた時を求めて」の引用である事が判るだろうし、そうではない人にとっても、とても暖かくて柔らかく、甘く美味しいものを食べるという実感で、自分の「感覚」、「意識」というものを失うのがどれだけ悲しいのかも共感して貰えるだろうと考えていた。

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 コンテで、康雄が直裁に玲音の気持ちを代弁して言葉にするという変更になって、率直に私は監督に抗議をした。「みんなが好き」というのは決して間違ってはいないが、あまりにも現存在のロジックとしては単純化し過ぎていた。
 しかし隆太郎さんは決して直そうとはしなかった。
 いや実際問題として、我々がコンテに目を通した時には作画打合せが既に進んでいたのだが。

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 そういう事があったので、初見時の最終話は複雑な思いで放送を見た。

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 シナリオの想定よりもずっとエモーショナルに玲音は涙を流す。だからここで視聴者を共感させるのは当然なのだが、ここで安易に情緒に流されても困る。

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 でも、そうはならない。そういう構成にしていた。

 アバン・バンクがアブノーマルな色彩で過り――

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「記憶って、過去の事だけじゃないのね。今の事、明日の事まで……」