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serial experiments lain 20th Anniversary Blog

中村隆太郎監督とジャコ・パストリアス

 

lain」製作中、隆太郎さんとプライベートに話す機会は殆ど無かった。隆太郎さんは監督として限界を越える激務をこなしていたのだから当然なのだが。
 しかしホン読みの後かアフレコ前か、ちょっと雑談する機会は幾度かあった。また音楽の好みの話なのだけれど、そこでジャコ・パストリアスの事が話題に出た。

 

 ジャコはジャズのエレクトリック・ベーシストで、1976年にソロで鮮烈にデビュウした後、当時最も影響力を持ったジャズ・グループ、ウェザー・リポートに3代目ベーシストとして参加し、数々の伝説的演奏を行った後に、自身のソロ・プロジェクトでその才能を最大限に開花させるが、1983年頃から双極性障害と、酒とドラッグによって人格が壊れていき、周りから疎まれる様になってしまい、路上生活者状態であった1987年に、コンサート会場のセキュリティに過剰な攻撃を受けて亡くなってしまった。

 ウェザーリポート参加前・中には様々なアーティストにゲスト参加しており、特にジョニ・ミッチェルの最もクリエイティヴであった時期にはライヴ・サポートもしている。だからジャズ界だけではなく、ロック/ポップス系のリスナーにも知られる存在だった。


 私はジャコの活動期をリアルタイムで知っているが、ウェザー・リポートやソロの来日時に生で観る機会はなかった(作家の津原泰水さんは広島公演で観に行っている)

 1978年にウェザー・リポートが来日した時、NHKのFMでライヴが放送され、このエアチェック・テープが当時出回って、衝撃を受けた。
 この時期のウェザーのライヴは1979年に「8:30」という2枚組でリリースされ、ジャズ、ロックを越えた凄まじいパワーを体感出来るのだが、「Birdland」という曲は、オリジナル・スタジオ盤「Heavy Weather」の16ビートではなくシャッフルにアレンジされてしまっており、後に多数手に入る(主にはブートの)ウェザーのライヴでも同様なアレンジであった。
 しかしNHKが放送した日本公演中野サンプラザでは、オリジナル通り16ビートで、しかも原曲よりも速いBPMで演奏していて昂奮させられ、この時のヴァージョンが忘れられなかった。
 CD時代に入って、ブート盤が元と思われるライヴ盤も入手出来たのだが、2015年にピーター・アースキン(当時のドラマー)が所有していた音源の数々から編まれた「The Legendary Live Tapes」というCDセットで正規にやっと聴かれる様になった。


 さておき、私は高校生時代からずっとベースを演奏しているのだが、ジャコが演奏する様なフレットがないベース(フレットレス)は、誰がどう弾いてもジャコ登場以降、ジャコ風にならざるを得ず、恐ろしいまでに指が開くジャコの運指は到底真似が出来ない私にとっては、「あんまりジャコを聴き込んでもしょうがないなぁ」という観点になり、やや引いた視点で捉えるミュージシャンだった。
 
 しかし上に書いた様に、聴く音楽という観点ではジャコの遺した音楽は他に例が無いもので、周期的にジャコの演奏を聴くという事を過去繰り返していた。

 

 隆太郎さんは純粋にジャコの、真なるオリジネイターというアーティスト性に惹かれていた様に思う。まあ隆太郎さんの言葉だと「カッコいい」なのだが。

 この話は各話回顧を終えてから書くつもりだったのだが、その頃の私がここに割ける時間が読めないし、先に書いておいた方が良い部分があるので記しておきたい。


lain」の製作が終わって、そこそこ盛大な打ち上げパーティが行われた。
 私は「lain」に限らずだが、アニメのダビングには立ち入った事がないので、笠松広司さんと会ったのはこの時が初めてだった。

 放送中、激しい対立をせざるを得なかった、テレビ東京担当プロデューサーの岩田牧子さんとも、打ち上げでは互いに「色々すいません」と言い合って労い合った。

 終わる頃、隆太郎さんが「ちょっと恥ずかしいんだけど、これ」とプレゼントされたのが、隆太郎さん手製のCDだった。

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 どちらもFMで生中継された番組をエアチェック(オープンリールのテープレコーダーによる)した音源を焼いたものだった(隆太郎さんはオーディオ・マニアでもあった)


 一枚は1983年、小編成で来日したジャコ・パストリアス・バンド(ワード・オブ・マウス)のもので、前年までのビッグバンドの様なスーパースターは参加していないのだが、パット・メセニーに指名されて渡辺香津美さんが参加されているという貴重な音源だった(あまりブートも出ていなかった)。
 あまりリハの時間も無かった様だが、香津美さんが自分用に書いておられた「Havona」(ウェザー時代にジャコが書いた曲)のスコアをジャコが見つけるや、セットリストに追加されている。
 2012年、この時の音源が正式にCD「ワード・オヴ・マウス・バンド 1983 ジャパン・ツアー・フィーチャリング渡辺香津美」としてリリースされた。

 もう一枚は翌1984年、ライヴ・アンダー・ザ・スカイ(という大規模な野外のジャズ・フェスがかつて開催されていた)で来日した、長老的なギル・エヴァンスのビッグバンドに特別出演として参加した時の録音だった。
 マーク・イーガンというバンド・ベーシストに加えての参加で、部分的にはジャコらしさの音も聞こえるのだが、もうこの時期のジャコは奇行癖が進んでおり、ベースを広島城の堀に投げ込んだり、ステージに現れたら角刈りで上半身裸で、泥まみれな上にビニールテープで奇怪なボディ・ペイントを施して登場していた。
 このフルの音源も近年ブートで入手したのだが、正直、音楽的には愉しめないものだった。
 ただ、膨大な観客を前に勇姿(と言えるかはさておき)を見せて、盛大な歓声を受けたほぼ最後のステージという事になってしまい、ジャコの、いや音楽史的にもヒストリカルなステージであった。

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 同じCDは笠松さんや、もしかしたら岸田さんにも贈られたかもしれない。
 大事に今尚持っているのだけれど、当時最高のPhilipsのCD-R盤に焼かれたデータは、もう全ては正常に再生出来なくなっており、記録用光学メディアの宿命とは言え空しさを抱かざるを得ない。


 ジャコ・パストリアスという人物そのものについては、これから幾度か書く事になる。