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serial experiments lain 20th Anniversary Blog

先達への畏敬と独自性の確立

 

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serial experiments lain」は他に例がない様な独自な内容・表現をする野心で作っていたが、テレビ・アニメという枠なのだから何れかのジャンルには区分される。
 サイコ・ホラーと思われるのは個人的には心外なのだが(怖がらせようという意図で作ってはいないので)、表現から言えば拒めまい。
「プレゼント・デイ プレゼント・タイム」と宣言しているのは、今(1998年)の日本を違うフェイズで見たら、という意味であり、近未来SFではない。

 

 テレビ・アニメで斬新なサイバー表現が描く事が可能なのだろうかについて悩み検討した事は本ブログで幾度も述べてきた。
 中村隆太郎監督が選んだのは、普通に原画として描き、セルに仕上げて撮影する、コンヴェンショナルなアニメーション表現だった。勿論そこには幾多のデジタル効果やノイズ付加などの処理を経るが、透過光という出崎統監督が開拓した技法での表現も独自なものへと進化させた。

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 アニメーターによって描かれるという事で、徹底的にメタファーとしてサイバー空間を具体的な映像にし得たのは、コンテ、演出、作画、後処理と全てを中村隆太郎監督が一元的に統括したから出来たのだと思う。

 

 

 伊藤和典脚本、押井守監督の映画「攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL」(1995)を、越えられはしなくとも、テレビ・シリーズとしては独自な表現を提示出来たかな、と思っているのだが、実はシリーズとしての物語に於いては、このコンビ作の別の作品が私の前には大きな存在として在った。

 シリーズ版「lain」では、ドラマを描かねばならず、玲音と対峙する存在が必要であり、普通の人間では物足らないのでそれを「ワイヤードの神」とした訳だが、この在り様は「前に見たことがあるぞ」と思った。


機動警察パトレイバー the Movie」(1989)という劇場1作目がそれだった。(※岸田隆宏さんも原画参加されている)

 

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 パトレイバーの映画では1作目が好きだ、という話を「神霊狩 -GHOST HOUND-」の時に岡真里子さんとした(同意見だった)覚えがあるのだが、かなり影響も私は受けていた様だ。
 既にこの世にいない、本編にキャラクターとしては登場しない最終敵が仕掛けた、自然災害を人工的に拡大するテロ計画に立ち向かう特車二科を描くストーリーで、異なる見方はあるかと思うが、この映画のヒーローは千葉繁さんが演じたシゲさんだった。
 このテロ計画は、篠原重工製品のレイバーにインストールされたHOS(HobaのOS)に仕掛けられていた。

 

lain」に登場するコンシューマ用OSはCOS (Communication OS)。
 エンタープライズ仕様はCopland OS Enterprise。

 

 

 さて、ネットを介して現実世界に何らかの影響を及ぼそうとするなら、まずは基本システム OSを狙うのは当然の選択だ。
 だから「lain」では特定OSに囚われずネットに接続するには必ずや必要な IP インターネット・プロトコルというネットのインフラを狙う事にした。プロデューサーと喧嘩をしてまで固執したのは、そうでないと独自性が保てないからだった。

 そして、「神」。
 パトレイバー映画ではキリスト教のモチーフを多用してイメエジを統一していたが、本作では特定の宗教観には極力近づかない方針にした。
 そして、死亡したまま亡霊の様に扱うのではなく、「生きて」喋るキャラクターとして登場させねばならなかった。

 英利政美というキャラクターは、現れる必然が絶対的に在った。

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 さて、実際に登場させてからだが、中村隆太郎監督に何度も言われた事がある。
 それは、「英利の考え方には一理あるよね」という事で、彼の立場としての極論を言わせていた私は当初面食らったのだが、徐々に「そうだな」と思う様になった。

 前後して取り組んでいた「ウルトラマンガイア」での、前半の好敵手=藤宮(ウルトラマンアグル)の地球原理主義(今で言えばエコテロリズム的な考え)も、頭の中の何分の一かでは「――というのも正論だよな」と思って書いていた。