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serial experiments lain 20th Anniversary Blog

「lain」のオープニング

 

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 最終話の回顧に入る前に、やはりオープニングについて詳しく触れておかねばなるまい。
 OP曲bôa「Duvet」については本ブログ初期既に記している。
 
 恐らく2話とほぼ同時期にこのオープニングはコンテが描かれ、豪華な作画陣と極めて精緻な編集を経て作られた。
 だからシリーズがどういう展開をし、如何なるエンディングを迎えるのかについて中村隆太郎監督はまだ見通せていない時期に作られている。
 しかし、どういう「終わらせ方」にするかについては、もうこのオープニング演出の時点で隆太郎さんの中には抽象的にではあっても既に見えていたのだろう。

 

 私はこのオープニングを「いいなぁ」とは毎週思いつつ見てはいても、このオープニングが何を表しているのか、積極的に解釈をしようとは思っていなかった。しかし結果的にはこのオープニングに収まる様な物語の閉じ方へと進む事になった。
 この事に気づいたのは本当につい最近、放送20周年でTwitter同時視聴会をしようという、ファンの人達に応えて見返し始めてからだった。

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 2拍目裏からヴォーカルのみで始まるのを受けて、街で佇む玲音の後ろ姿にトラック&ズーム・アップするカットから始まる。

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 原案・企画のproduction 2ndは実質的にueda yasuyukiプロデューサーその人。当時の所属部署名の無理矢理英訳だと思う。

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 何でかメイン・タイトルなのに「serial experiments」の表記がない。

 このオープニングには玲音以外の人間は点描されるモブしか登場しない。鴉が唯一の生き物として描かれる。

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神霊狩 -GHOST HOUND-」のオープニングでも、リアルな鴉のアップがあるのだが(岡真里子さんが嬉々として描かれていた)、隆太郎さんにとって鴉はどういう存在だったのか、とうとう訊く機会が無かったのは本当に無念だ。

 

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 上田Pの元上司、Gencoの真木太郎さんは「アミテージ・ザ・サード」のプロデューサー。
 私はそれ以前「突然!猫の国 バニパルウィット」が最初の真木さんとの仕事だった。

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 飛び立つ鴉の群れを恐れる玲音。

 飛び立っていった先を見上げると――

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 ここまでは周囲の全てに脅えているかの様な玲音像だったのだが――

 異なる表情の玲音が、アナログ・ビデオ・ノイズの中から映り込み始める。

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 赤キャミの玲音は、「ワイヤードのレイン」の元型となる。

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 このオープニングはMV的な性質も色濃く、ところどころで玲音は唄にリップ・シンクしている。


 点描各種。

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 壮年の男性も若い女もいる、パーティー的な場なのだろうか。
 テレビの中の玲音は腕を振り上げ、何やら激しくアジテーションをしている様だ。

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 しばしばはさみ込まれる、モニタ再撮。
 リップ・シンクしている。

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 ショウちゃんの元型となった、ゲーム少年。奥にはエプロンをした母親がいる。
 左右分離式のゲーム・コントローラって、Switch以前にあったのだろうか。
 テレビの中の玲音は、「しーっ」と唇に指を当てているが、少年には見えていない様だ。

 キスを交わす若い男女。

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 シリーズで、度々キス場面があったのも、このカットがあったからだ。
 テレビの中の玲音は極めて不機嫌そうに二人を見ている。

 

 そう、テレビモニタの中には、視聴者には気づかれずとも、いつも玲音がいてこちらを見ている。

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「Duvet」のオープニング・エディットは、1chorus目が終わるとCメロ(間奏的なジャスミンスキャット)に直結し、クライマックスに最短で到達。

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 キャミ玲音のステップはテンポにマッチしている。

 多くの実写、写真素材が背景に用いられていて(いずれにも人間は写っていない)、本作が実写を本編でも導入する伏線的にも見える。

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 物憂げな玲音のアップ。

 

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  哀しい目をして振り向く玲音。

 

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 そして、歩道橋。
 階段下に佇む玲音に接近していくキャメラ

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 踊り場で角度が変わる、強いて言えばステディカム風ショット(歩いて接近していく視点)。

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 顔を上げ、

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 階段を上がり始める玲音。何故ここでカットを分けてディゾルヴ処理したのだろうか。

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 その歩道橋を上がる事が、彼女にとってどういう意味を持っていたのだろう。

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 既に玲音の姿にブラーが掛かって、実体を失いつつあるかの様。


 橋の上で突風に煽られる。

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 キャップが風に飛ばされるが――

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 その時、前を過って羽ばたいていく鴉を見つめる玲音――

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 改めて見直して、オープニングで玲音を描いたカットの中で止め絵はここのみだ。後は全てアニメーションになっている。

 

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 そして、帽子は空中に留まっているが、玲音はポケットに手を突っ込んでそのまま歩いていく。
 ここで監督クレジット。

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 そして提供バック。ワイヤードの中からこちらを見つめていた玲音、哀しそうに首を振って虚空を仰ぐ……。

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 最終回はイレギュラーな入り(冒頭に『プレゼント・デイ』がない)というのが理由なのか、尺調整か、或いは別な監督意図があったのかは判らないが、編集が異なっている。
 監督クレジットは玲音以外がモノクロになった引きで極めて短く入るだけで、歩き去っていく後ろ姿のカットは入っていない。

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 インサートを除外すると、このオープニングでは無人に見える街を独りで玲音は歩き、歩道橋を渡って道の向こう側へ去って行く、ただそれだけの展開。
 人がいない街(鴉はいる)。
 道のこちら側からあちら側へと渡る歩道橋。
 去って行く後ろ姿。
 テレビの中から訴える玲音。

 こうしたフラッシュ・イメエジが、終盤のストーリーと物語の結末を考える私に、極めて強い誘導をしていた。
 更に、このエントリで述べた中村隆太郎監督の、シリーズ序盤のヒロイン像評。
 どんなに無駄な抵抗をしたとしても、「lain」シリーズの物語は自ずとかくある結末を私の中で決定づけられていた。

 OP/EDスタッフ。
 エンディングはところともかずさんの一枚作画。
 12話にも参加された山下明彦さんは、ジブリに行かれる前のこの時期、トライアングル・スタッフの「魔法使いTai!」等にも参加されていた。しかし私が初めて挨拶したのはサンライズの「THEビッグオー/Act.07」で素晴らしいイメージボード(絵コンテのクレジット)を担当された時だった。片山一良監督が「この人天才だから」と言っていた。

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